徳島県立近代美術館
学芸員の作品解説
学芸員の作品解説
石になれるか
1984年
ブロンズ
14.0×21.0×15.0
1984年
ブロンズ
14.0×21.0×15.0
福岡道雄 (1936-)
生地:大阪府
生地:大阪府
データベースから
福岡道雄石になれるか
他の文章を読む
作家の目次
日本画など分野の目次
刊行物の目次
この執筆者の文章
他のよみもの
所蔵作品選1995
福岡道雄 「石になれるか」
安達一樹
百聞は一見にしかずといいます。しかし、一見しただけではわからないこともたくさんあるのがこの世の中です。美術の世界も例外ではありません。作品は、作者の感情や意見を造形して表現したものです。しかし、その表現の仕方はいろいろです。ストレートな人もいれば、非常に複雑な表現の仕方の人もいます。福岡道雄は、その最も難しいほうのひとりです。福岡は、このところF・R・P(繊維強化プラスチック)による真っ黒な作品を作り続けています。簡単にいうと、すべての面が黒い大きな箱のようなものです。そして、最初のころは、その上側の面に、水面に向かって釣りをしている人やボートを漕いでいる人、車を洗っている人などがひとりぽつんといるような風景が、色は同じくすべて黒でミニチュアのように作られていました。
そのような作品を、当時の人々は「風景彫刻」と呼びました。しかし、その後の作品の展開を見てみると、風景からやがて人や木や車などが消えていって、とうとうかすかに波が立っているだけの作品まで現れました。いったいどういうつもりだったのでしょう。福岡の文章に次のようなものがあります。
「(前略)そんなものを作っているうちに風景彫刻と呼ばれるようになってしまった。別に嫌なわけではないけれども、もうひとつしっくりこないのである。ほとんど黒一色の箱に近いこの造形物を作り始めてもう七年目に入る。ただ、単に『箱』そのものを作っている方が僕にはよくわかるような気がするし、そのほうがずっとスバラシイと思えるのである」
箱が大事だったとは驚きです。実は作るというところにポイントがあったわけです。
ところで、所蔵作品展94-IVに四月二十三日まで展示されている「石になれるか」。これも題名からしてひねくれていそうです。やはり、文章を紹介しましょう。
「『鳥になれるか』『鮒になれるか』『石になれるか』…、僕の彫刻の題名である。小さな彫刻を作っていて一つだけ困ることがある。美術館や画廊でも展示場であるにもかかわらず、小彫刻を自然な状態で見せるにはあまりにも不親切な空間なのである。ガラスのケースの中にいれるのではなくて、無愛想な彫刻台の上に置くのではなくて、なにかいい方法でこの小さな彫刻を大きな空間に放すことができないものかと最近考えている。大きな美術館の空間を小彫刻で緊張感をだすことが、僕の目下の課題である」
どうぞ、あれこれ考えてみてください。
徳島新聞 美術へのいざない 県立近代美術館所蔵作品〈55〉
1995年3月4日
徳島県立近代美術館 安達一樹
1995年3月4日
徳島県立近代美術館 安達一樹