徳島県立近代美術館
学芸員の作品解説
初年兵哀歌(歩哨)
1954年
エッチング、アクアチント 紙
23.8×16.3
浜田知明 (1917-)
生地:熊本県
データベースから
浜田知明初年兵哀歌(歩哨)
他の文章を読む
作家の目次 日本画など分野の目次 刊行物の目次 この執筆者の文章
他のよみもの
20世紀の版画展

浜田知明 「初年兵哀歌(歩哨)」

竹内利夫

 版画をみる時に、一体どんな技法が使われたのか想像してみるのは楽しいものです。学芸員が受ける質問の中で、版画技法に関するものは非常に多い。エッチングやシルクスクリーンなど片仮名の用語が難しいこともその一因と考えられます。しかし、やはり直接描いたのではなく版を使って写し取られたのだという点が興味をひくのではないかと思われます。この表現の間接性は、前回に触れた複数制作の可能性とともに版画の根本的な特質だといえます。作者は、表現したい内容を実現するための製版(例えば彫る、腐食させる)そして刷り(プレス機やバレンなど)の技術に熟練しなければなりません。ただし、それが表現上の制約であると同時に可能性でもあることは、版表現の多様さをみれば明かです。
 今日、製版と印刷技術の可能性は無限に広がりつつあります。けれども、というより、むしろ当然のことながら、そこでは表現の質が問い直されることになり、この問いかけは、突きつめていけば、なぜ「版」なのかという問題にまで沈潜していきます。
 今世紀初頭に起こった石井柏亭、山本鼎らの創作版画運動の骨子となる考え方は、浮世絵版画の分業を否定し、自画・自刻・自刷りによって、複製画ではないオリジナルな版画を制作するというものでした。版画制作の技術を完全に芸術家のものとすることで、複製技術としての版画から脱皮しようとしたのです。そうして版表現の独自性が探求される中で、戦後版画の目覚ましい展開を生み出す土壌が形成されていったのだといえます。
 戦後間もなく、さまざまな国際展へ日本作家も参加していきます。そこで日本の版画家の受賞が相次いだことは注目を集めます。駒井哲郎、浜口陽三、浜田知明らの銅版画家が、木版画の伝統からは離れた次元で、表現自体の独創性を評価されたのです。浜田の「初年兵哀歌(歩哨=ほしょう)」(県立近代美術館蔵)は、1956年に開かれた、第4回ルガノ国際版画展(スイス)で、次賞を受けた作品です。自らの戦争体験から主題を選んだ彼は、後に「是が非でも訴えたいものだけを画面に残し、他の一切を切り捨てた。色彩を捨て、油絵の具という材料を捨て、そして白黒の銅版を択(え)らんだ」と、語っています。
 創作版画運動が、ともすれば版画のための表現に陥り、自らその表現に制約を加えてしまいがちだったとすると、浜田においてその限界は確かに打ち破られたといえます。彼は版画の表現と技法に対する自覚を、一歩深めたのです。
徳島新聞 県立近代美術館 36
1991年6月12日
徳島県立近代美術館 竹内利夫