徳島県立近代美術館
学芸員の作品解説
学芸員の作品解説
我々はここにいる
1974年
油彩 キャンバス
130.2×97.6
1974年
油彩 キャンバス
130.2×97.6
ウィフレド・ラム (1902-82)
生地:キューバ
生地:キューバ
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ラム我々はここにいる
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徳島新聞 美術へのいざない
ウィフレド・ラム 「我々はここにいる」
友井伸一
シュールレアリスムの詩人ブルトンは「シュールレアリスムと絵画」という文章の中で次のように語っています。「シュールレアリスム」が行動の指針を自らに設けたいと切望するのなら、ピカソが通りすぎ、そしてさらに通りすぎていくであろうところに従わねばならないだけである」ピカソ自身がどう考えていたかはともかくとして、シュールレアリストが自分たちの先導者として彼に賛辞を送っていたのは間違いのないところです。そして、ピカソの多様なモチーフのうちでも牛や馬といった動物や原始的なイメージは、とりわけシュールレアリストたちを刺激しました。ピカソが動物のイメージを表現した代表作として、スペイン内乱の際、フランコ政権に抗議して制作された「ゲルニカ」があります。ここでは、ゆがめられた動物のイメージが、暴力や苦痛、恐怖といった要素を伴って結実しています。
キューバに生まれたウィフレド・ラムはこの「ゲルニカ」から衝撃を受けます。パリに出たラムは、まずピカソに会い、またブルトンを知るに及んで遅ればせながらシュールレアリスムの運動に加わりました。しかし、しばらくして始まった第二次世界大戦中にドイツに占領されたパリからキューバに戻った1941年ごろ、ラムはようやくピカソの影響から抜け出すのです。1942~1943年作の「ジャングル」では密集した草むらに溶け込んでいるような、原始的でがい骨みたいな生き物が茶色っぽい地に平面的に描かれています。これ以降ラムはアフリカの民間信仰に基づく部族的な武器や熱帯の動植物の形を歪曲(わいきょく)させて描くようになりました。県立近代美術館所蔵の「我々はここにいる」でも、とんがった形にゆがめられた、何か、得体の知れない生き物が、暗い背景から姿を現しています。
ピカソが用いた原始的なイメージや動物の姿は、ラムを通して恐怖と神秘の入り交じった土俗的で呪術(じゅじゅつ)的な装いで登場してきます。ピカソと会い、またそれと同時にシュールレアリスムの運動に身を投じたラムは、西欧の前衛を知りました。しかし、夢や無意識の深さを測りながら、彼は自分がヨーロッパ人ではないことを自覚し、自らの自出を探求していったのです。ラムは彼の作品でこう語ります。「我々はここにいる」と。彼においてシュールレアリスムは見事に民族の固有性と結合したといえるでしょう。
徳島新聞 県立近代美術館 23
1991年3月13日
徳島県立近代美術館 友井伸一
1991年3月13日
徳島県立近代美術館 友井伸一