徳島県立近代美術館
学芸員の作品解説
我々はここにいる
1974年
油彩 キャンバス
130.2×97.6
ウィフレド・ラム (1902-82)
生地:キューバ
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ラム我々はここにいる
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徳島新聞連載1990-91

ウィフレド・ラム 「我々はここにいる」

吉原美惠子

 得体の知れない不思議な生き物が画面の中からこちらを見つめています。鳥でしょうか、鹿のような動物でしょうか。土色の背景からこちら側に浮かび上がっている顔が私たちに向かって語りかけます。「我々はここにいる」と。
 単純な線で描かれた頭、くるんと丸い目玉、すっくりと伸びた首などは、記号のようにも、ひょうきんなお化けのようにも見え、私たちに何かを思い起こさせようとします。私たちは、心の中で問いかけることでしょう。「そこにいる君たちは何者なのだ」と。
 作者のウィフレド・ラムは一九〇二年、南米キューバに生まれました。彼は地元で美術の勉強をしたあと、スペインに出て絵の勉強を続けました。その後パリに渡り、ピカソや当時のシュルレアリストたちと親交を深めます。そのころのパリにおいては、ピカソらによって、アフリカの彫刻が盛んに取りあげられていました。アフリカの彫刻や仮面の表現様式は、そのころのパリの絵かきたちにとって、非常にざん新で、ユニークで、新しい表現への突破口となりうるものだったのです。かたちへの興味に過ぎないという批判もしばしばなされますけれど。
 もちろん、ラムも同様に、アフリカ美術に大いに触発されたに違いありません。ですから、私たちはラムの絵の中にアフリカの彫刻や仮面によく似た主題、表現方法を認めることができるわけです。しかし、彼は決して当時のキュビスムやその周辺にいた亜流の作家ではありませんでした。彼が独自の絵画を切り開いたのは、さんざめくヨーロッパの街を離れてからのことだったのです。
 第二次大戦中、ラムは戦禍を逃れてパリを離れます。多くの亡命した美術家たちが新天地として選んだアメリカを選ばず、故国キューバに戻った後、ラムはふたたび描き始めました。みずみずしい感動を得たアフリカの美術からオセアニアの美術へと興味は広がり、彼は土俗のもとへの関心をも自分のものとしたモチーフにたどり着きました。彼の絵のなかに出てくる生き物たちは、角を生やしていたり、翼を持っていたり、時には柔らかそうな乳房やつんととがったしっぽを持っていたりします。国籍のないこれらの生き物は、国籍を超えたところにある一種の象徴的な存在となり、彼らの存在を考えることで、「では、われわれはどこにいるのだ」と見る者には自問を促しているかのようです。
 この作品は、四月二十三日まで「所蔵作品展94-IV」において展覧されます。
徳島新聞 美術へのいざない 県立近代美術館所蔵作品〈57〉
1995年3月19日
徳島県立近代美術館 吉原美惠子