徳島県立近代美術館
学芸員の作品解説
無題
1988年
木炭、黒鉛 紙
243.8×152.4
ロバート・ロンゴ (1953-)
生地:アメリカ
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ロンゴ無題
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所蔵作品選1995 毎日新聞 四国のびじゅつ館

ロバート・ロンゴ 「無題」

吉川神津夫

 黒いスーツを着た男がのけぞって、中空を彷徨っているように見えます。一体、彼の身に何が起こったのでしょうか。
 タイトルは〈無題〉。ロバート・ロンゴが1981年から制作を始めた「街の人々(Men in the cities)」というシリーズの一点です。このシリーズでは、黒い服に身を包んだ男女が様々なポーズで身を捩らせています。その姿は、一様に何か衝撃を受けたのか、あるいは激しくダンスを踊っているのかのようです。
 「街の人々」の制作は、ロンゴがバッファローという地方都市からニューヨークに移って来た頃の体験がきっかけとなっています。70年代の末から80年代の初頭にかけて彼が暮らしたサウス・ハンプトンは昔からの古い建物が並ぶ街並みでした。ところが、港湾の拡大工事のための街の再開発が進んでそれらの建物が壊されるにつれて、古くからの住人の中には総合失調症になる人が現れていたのです。ロンゴはアトリエからほとんど外に出ることはなかったので街や人々の変化に気づいていませんでした。ところが、ある日アトリエから外に出て、街の様子が変わりつつある中で、一人一人の人間が孤立しているような感覚に襲われたのです。かつて中世からルネサンスにかけては、時代の変化にともなう価値観の変化についていけずに発狂する人が数多く出たそうです。すさまじいスピードで変化していく、現代の都市生活で似たようなことが起こっても不思議はありません。
 ロンゴは自ら感じた都市生活者の不安をイメージするにあたって、映画からインスピレーションを受けました。1953年生まれのロンゴは、自らが育ってきた時代では、映画の中での暴力や死、セックスが大きな意味を持つようになったと語っています。このシリーズとの関連で言えば、映画の中で死に方が変わったことです。昔は撃たれた人物はすぐに倒れていました。ところが、60年代の末頃から撃たれた人物が時間をかけて死ぬようになったのです。人の死に方について、ロンゴはアメリ力の監督サム・ペキンパーの「ワイルド・バンチ」(1969)からの影響を語っています。この映画のラストでは、撃たれた人物が吹き飛ばされて箪笥にぶつかったり、壁にたたきつけられたりして、まるでダンスのように見えるので、血の舞踏とか死の舞踏と呼ばれたのです。また、ドイツの監督ライナー・ベルナー・ファスビンダーの「アメリカン・ソルジャー」(1970)の場合は、ロンゴは映画のスチル写真に関心を持ったのです。これは映画のラストシーンで弾丸が男の肉体をとらえた瞬間のものなのですが、ここでもロンゴはアクロバットのようなそのポーズに注目します。そして、ロンゴは自分の作品に必要なイメージを求めて、モデルを用いて写真を撮ったのです。
 モデルは当時の恋人や画商など彼の身近な人たち。ロンゴは彼らをビルの屋上に連れて行き、テニスボールや石などを投げつけて、彼らの苦悶する様子を撮影したのです。そして、この写真をスライドプロジェクターで投影して、木炭や黒鉛でドローイングしました。絵にするにあたり、写真をそのまま写したわけではありません。よりインパクトのある表現にするため、上半身と下半身では別の写真を用いたり、髪やネクタイを激しく振り乱したりしました。ネクタイは時に首吊りしているように見えることさえあります。また、モデル自身はジーンズのようなラフな格好をしていたこともありますが、作品にするとき男性はスーツ、女性は力クテルドレスを身にまとうようになります。
 死に方にインスピレーションを受けた作品ですから、さながら死に装束のような感じでしょうか。
 これまで、「街の人々」が制作された背景について触れてきました。そして、ロンゴがシリーズの制作に至った契機を知ることができました。しかし、私たちが作品を前にしただけでは、作家の背景など伺い知れません。また、ロンゴ自身もシリーズ名が「街の人々」であり、タイトルは〈無題〉であること以外は示していません。彼がなぜ今の状態にあり、その後どうなったのかという手がかりは全くないのです。言い換えれば、ロンゴが見せているのは瞬間だけなのです。そして、この作品と同様に、私たちは様々な事象の瞬間としか出会っていないことの方が多いのではないでしょうか。もちろん、描かれているのが瞬間であっても、一枚の絵画はゆっくり時間をかけて見ることができます。その時、私たちに瞬間の前後を自らの想像力で紡ぎ出す自由は与えられています。

* 文中のロンゴの言葉は以下の文献を参考にしました。
Paul Gardner "LONGO MAKING ART FOR BRAVE EYES" ARTnews/May 1985
「芸術の宇宙飛行士」『美術手帖』1988年1月号
「ロバート・ロンゴ『描かれた映画』」『みずゑ』1989年春

徳島県立近代美術館ニュース No.48 Jan.2004 所蔵作品紹介
2003年12月
徳島県立近代美術館 吉川神津夫