徳島県立近代美術館
学芸員の作品解説
自転車乗り
1911-12年
油彩、砂、コラージュ キャンバス
55.0×46.0
ジャン・メッツァンジェ (1883-1956)
生地:フランス
データベースから
メッツァンジェ自転車乗り
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ジャン・メッツァンジェ 「自転車乗り」

竹内利夫

「絵画ってこんなもの、を変えた絵画の冒険-キュビスム」
 
 前へ前へ!つんのめるように走る自転車乗り。隣にも別のタイヤが並び、重なってきます。ここはレース場でしょうか。後ろにはスタジアムのひさしに人影、フランス国旗も見えます。「応援の声が聞こえそう」と評した生徒がいました。カラフルで迫力のある絵です。
 何といっても特徴的なのは、右に左に斜めに上に、複雑に交差する太線の大混雑。自転車のフレームも、上下する太股も、かろうじて形を読みとれるかどうか、という具合です。顔や腕は透明なのか、そんな点も気になります。いずれにせよこの絵からは、調和よりも混雑、活気といった印象を受けます。そう。この絵は、動きと速さを描いた珍しい作品といえそうです。
 メッツァンジェはこの頃20代後半。姿勢を変えていく人の姿、ダンスをして動く様子を夢中になって描きました。まるでコマ撮り撮影を1枚の絵に凝縮したかのような、やや風変わり、いやかなり大胆で奇抜な描き方です。
 それはキュビスムと呼ばれた新進の美術の流行でした。創始者はピカソとブラック。キューブとは立方体の意味ですが、彼らは立体や奥行きを見せかける絵画の常識から訣別し、新たなリアリズムを開拓しようとしました。ガラスに乱反射した世界にも見えるその絵には、色々な方向からみた事物の姿がミックスされています。キュビスムの画家にとって画布は、さまざまな映像を編集し合成していくパソコンのデスクトップのようなものでした。そして観る人へも、その知的なパズルへの参加を迫るのです。
 100年近く前の出来事とはいえ、今でもキュビスムの作品は私たちを驚かせます。顔はロボットのようだし、脚は筒や円錐のよう。人体すらまるでモノみたいに描かれ、前後関係も透き通ってあいまいです。かと思えば広告か菓子箱のような厚紙や砂が貼りつけられ、意外な現実味を生んでいます。画家たちのこの冒険は、実は美術の意味を揺るがすほどの重大な一歩でした。「写す」という画家の役割(正確にいうと写したように見せる技術)を大きく踏み出してしまったのです。そして、画面にものを貼るということは、描かれた図像の世界と、日用品や材料との垣根をあいまいなものとします。舞台を演じる役者のポケットでケータイが鳴ったら、興ざめしますよね。「作品」の約束事がここで一つ解体してしまったのです。こうした美術が登場した背景には、カメラや映画の登場、また交通手段の進化により移動や時間の考え方が変貌したこと、などを指摘できます。メッツァンジェの絵はもはや、昔ながらの名画というより、映像時代・高速移動時代を生きる私たちの世界にむしろ属しているともいえるでしょう。もっと生き生きした現実感を描きたい、そう彼は思ったのではないでしょうか。
 1911年といえば、科学や工業への信奉が恐怖に変貌した第一次世界大戦を間近に控えた時代でした。しばし歴史の隔たりにも目を向け、青年画家たちの揺れ動く感性を想像してみるのも、有効なアプローチではないかと思います。
鑑賞シートno.2 - 世界の美術・キュビスムの人間像 「指導の手引き」より
2004年7月
徳島県立近代美術館 竹内利夫