徳島県立近代美術館
学芸員の作品解説
女性立像
1952年
ブロンズ
49.0×9.5×17.0
アルベルト・ジャコメッティ (1901-66)
生地:スイス
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ジャコメッティ女性立像
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アルベルト・ジャコメッティ 「女性立像」

友井伸一

 まずはじめに、ジャコメッティ(一九〇一-六六年)の言葉を引用しましょう。
 「私にとって現実は決して芸術品を作るための口実ではなかった。そうではなく、芸術は、私が見るものを私自身がよりよく理解するのに必要な手段なのです」(『ジャコメッティ 私の現実』みすず書房、一九七六年)
 ジャコメッティの最大の関心事は、表現することによって、現実を理解しようとすることでした。その「現実」とは、「私が見るもの」であり、彼はその「現実」を、見えるがままに、形あるものとして把握したいと努力します。ジャコメッティは本当に一生懸命にものを見ようとします。時には同じモデルを見つめ続けて、とりつかれたように五年間も制作に没頭し、また、時には彼が見たと感じた、あの「現実」についての記憶によって制作を続けました。
 彼が記憶に従って制作を始めると、その彫刻は次第に小さくなり、それはいよいよ小さくなり、マッチ箱に入るぐらいになり、ついには粉となって消滅してしまいます。努力の末、いくらか大きなものを作り始めると、今度は、それは細く長くとがってきたのです。彼は言います。「細長くなければ現実に似ないのだった」。
 彼が制作するのは、多くが人間です。モデルがいるときも、記憶に従うときも、彼はデッサンや彫刻の習作を作りながら、延々と人を見つめ続けました。しかし、いくら作り続けても、その「現実」は物質的な形のあるものとして、ほとんど現実化しないように彼には思えます。その「現実」に近づきたいのに、どうしても近づけないのです。「私が作り得るであろう一切は、私が見ているもののおぼろなイメージにすぎないでしょう」。
 県立近代美術館所蔵のこの作品は女性を表しているのですが、それはとても現実の人間には見えません。でも、現実の人間とは、本当は一体どういうものなのでしょうか。
 皆さん、一度作品の前で、削りつくされたこの細長い人体像が、彼のあの「現実」を暗示するおぼろなイメージなのだ、と想像してみてください。するとその時、この研ぎ澄まされたかぼそい人体が、私たちの心にこびりついてくるのがわかるでしょう。そして、終わりなき不在感を前にした彼のつぶやきが聞こえてくるようです。「私の現実に似ているということ…」。
 この作品はいま県立近代美術館で開催中の所蔵作品94-II「彫刻との対話」に、十月十六日まで展示されています。
徳島新聞 美術へのいざない 県立近代美術館所蔵作品〈44〉
1994年9月22日
徳島県立近代美術館 友井伸一