徳島県立近代美術館
学芸員の作品解説
女性立像
1952年
ブロンズ
49.0×9.5×17.0
アルベルト・ジャコメッティ (1901-66)
生地:スイス
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ジャコメッティ女性立像
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徳島新聞 美術へのいざない

アルベルト・ジャコメッティ 「女性立像」

友井伸一

 細くて長くて小さい。表面はでこぼこして、ざらざらした感じがする。これはなんだろう。どうも、人間のようだ。真正面を向いて、直立不動で立っている。体は、針金のようにやせっぽち。両脚は一本につながって折れそうだけど、地面に接している足の先だけが異様に大きくて、まるで地面に根を張ってそこから生えてきたみたいだ。急な坂道で、前に突んのめりながらも、姿勢を崩さずにがんばって立っている。
 この作品の作者ジャコメッティは、ちょうど100年前の1901年、スイスの小さな山村に生まれました。ジュネーヴの美術学校で絵画を学んだ後、1922年パリに出てブールデルに彫刻を学びます。この頃はイタリアの中世やルネッサンス美術、エジプト美術などに影響を受け、それらの写生を熱心に行っています。そして、やがて当時最先端の美術運動であったシュルレアリスム(超現実主義)に参加し、重要作家の一人として注目されるようになっていきました。
 ところが、ジャコメッティは、1930年代中頃から、次第にこの運動から離れていきます。シュルレアリスムの作品は、既成の概念を覆し、思いがけない強烈な衝撃力を持ちますが、それは現実についての観念の造形であって、現実そのものの認識ではない、と彼は考えるようになったのです。観念の中に閉ざされた世界から、本当の現実に出ていかなければならない。そのために彼は再び写生へと戻ります。
 1935年からジャコメッティはモデルを前にして、写生の要領で彫刻を作り始めました。それは5年間毎日のように続けられます。ところが、どういうわけか、作品は一つもできあがりません。当時を振り返ってジャコメッティは言います。「何一つ私が想像していたようなものではなかった。-略-結局私は、これらを幾らかでも実現しようと努力するために、再び記憶による仕事をはじめた。-略-けれども私が見たものを記憶によって作ろうとすると、怖ろしいことに、彫刻は次第次第に小さくなった。小さくなければ現実に似ないのだった。それでいて私はこの小ささに反抗した。」[ジャコメッティ「ピエール・マティスヘの手紙」(1948年)より]
 小さくなった彫刻は、どんどん小さくなり、とうとう粉になって消滅するほどになってしまいます。そして、1945年頃になると、今度はそれらがどんどん細長くなっていくのです。よけいなものが一切取り除かれた姿。見る者を寄せ付けず、拒んでさえいるような孤立した人体像。
 ジャコメッティは、本当の現実を見えるがままにとらえたいと願い、その困難さを知りながらも挑み続けました。張りつめてどこか空虚な空間に立ち続けている人間の姿、それは彼が見ていた現実にどのぐらい近づいているのでしょうか。
徳島県立近代美術館ニュース No.36 Jan.2001 所蔵作品紹介
2000年12月
徳島県立近代美術館 友井伸一