徳島県立近代美術館
学芸員の作品解説
学芸員の作品解説
版画集〈ジャズ〉2.サーカス
1947年
ステンシル 紙
42.2×65.1
1947年
ステンシル 紙
42.2×65.1
アンリ・マティス (1869-1954)
生地:フランス
生地:フランス
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マティス版画集〈ジャズ〉2.サーカス
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この執筆者の文章
アンリ・マティス 「版画集〈ジャズ〉2.サーカス」
友井伸一
はじめ、法律の勉強をしていたマティスが画家を志したのは、すでに20才を迎えていた1889年頃である。パリのエコール・デ・ボザールのギュスターヴ・モロー教室に入る。級友のマルケやルオーのほか、ドラン、ヴラマンクらと交流を深めた。彼らが1905年のサロン・ドトンヌに出品した強い色彩と激しい筆触の作品群は、批評家のルイ・ヴィークセルによって野獣(フォーヴ)の檻、と形容され、マティスはフォーヴィスムの騎手と目されるようになった。ヴラマンクに代表される内面からの強い表現主義的傾向と比較すると、マティスは、色彩への優れた感性と卓越したデッサン力に根ざした、より造形的な資質を備えており、平面性と形態の単純化を特徴とするスケールの大きな装飾性へと向かった。マティスは初期の頃からエッチングによる小品を多く残していたが、まとまった制作を行ったのは、1932年に出版者スキラの依頼による、マラルメの詩集『ポエジー』の挿し絵の仕事であった。ここでマティスは、絵は詩に従属するのではなく、詩と同一線上で詩を表現するものでなければならない、との信念のもと、丹念に詩を検討し、生き生きしたデッサン力を生かした線描による作品群を制作した。相前後して、ピカソもまたスキラのところからオヴィディウス作の詩集に寄せた〈メタモルフォーズ〉を出版している。ここに、共にエッチングによる線の魅力を遺憾なく発揮した詩画集の競演が実現したのである。
第二次世界大戦中の1943年、73才を迎えようとしていた老画家アンリ・マティスは、豪華美術雑誌「ヴェルヴ」を出版していたテリアードから、色刷り版画による挿絵本の制作依頼を受けた。彼は、数年前から体調を崩してベットでの生活が主となり、しだいに絵筆を持つのが困難になっていた。そこで、絵筆をハサミに持ち替え、以前に試したことのあった切り絵を本格的に用いて制作することにしたのである。制作は4年近くかけて徐々に進められた。そして、ジャズの即興演奏を思わせるようなリズミカルな作品が生まれ、大戦後の1947年に20枚の版画とマティス自身の文章からなる〈ジャズ〉が刊行された。
色紙を切りとること、それは彼にとって「色そのもの」を切りとることだった。ここで彼は「色」を手ごたえのある実体としてとらえていたのであろう。〈ジャズ〉のなかでマティスはこう言っている。「色を深く傷つけることは、直接彫って彫刻を作ることと似ています。」切り絵は、老人の手すさびなどではなく、生涯のテーマであった色彩の表現を新しい地平へと切り開いたのである。
制作は、マティスによる切り絵の作品をマケット(原型、模型)として、慎重に型紙が制作され、それを版として、穴の空いた部分にブラシなどで絵の具を塗り込んでゆくステンシルという技法で制作された。絵の具はマティスが切り絵に用いたのと同じ絵の具を使用した。図版の製版と刷りは、マティスの監督のもとでエドモン・ヴェイレルが行い、文章部分はマティスの自筆原稿を複写して印刷された。限定部数は250部と非売品が20部、ほかにテキストなしの100部が制作されている。
特別展「コレクションでみる 20世紀の版画」図録 第1部 20世紀初頭 1. ヨーロッパ
1997年4月12日
徳島県立近代美術館 友井伸一
1997年4月12日
徳島県立近代美術館 友井伸一