雑誌
デザイン
 「焼け野原の東京は明るく、何もかも新鮮で美しい風景でした。」*1 第二次世界大戦後の焼け野原。戦災をまぬがれた数少ないビルの一つ、「新宿伊勢丹百貨店宣伝課」に堀内少年は入社します。1947年、14歳の春でした
 早熟な才能を見せた少年は、広告サインや装飾ディスプレイなどを手がけながら、やがて雑誌の仕事も始めます。千代田光学(ミノルタ)のPR誌「ロッコ-ル」の創刊(1955年、22~3歳)にかかわり、大胆な写真レイアウトで注目されました。57年(24~5歳)には広告デザイン会社アド・センターの創立に参加。新進カメラマンだった立木義浩とコンビを組んだ「週刊平凡」(1959年創刊)や「平凡パンチ」(1964年創刊)などをはじめとして、膨大な仕事量をこなしながら、遊び心あふれる斬新な誌面で、雑誌のアート・ディレクションをリードする存在となっていきます。
 アド・センターを退社した1970年には女性誌「アンアン」創刊に参加。大型グラビアページと海外ロケを多用し、旅や夢へのあこがれをかき立てる誌面は、若い女性たちのトレンドをリードしていきます。その後も、「ポパイ」(1976年創刊)、「ブルータス」(1980年創刊)、「オリーブ」(1982年創刊)などのデザインやロゴタイプに関わっていきました。
「私のしようとしていたことはキレイで面白い“絵”をつくるということでした。レイアウトについていうと、それは「ロッコール」以来の組写真的、物語性、絵本的な展開です。―中略―細部にこだわらない代わり全体の形式が気になります。雑誌は音楽の組曲のように、いやもっと食事のコースに似ているかも知れません。」*2
【図版】上から
 「アンアン」創刊号(写真/立木義浩 モデル/マリタ・ジシー)平凡出版 1970年
 「ポパイ」創刊号 平凡出版 1976年 ®Hearst Holdings, Inc.
 「ブルータス」創刊号(写真/英興) 平凡出版 1980年 ®Hearst Holdings, Inc.
 「オリーブ」創刊号 平凡出版 1982年 ®Hearst Holdings, Inc.
 「アンアン」第6号(写真/立木三朗 モデル/立川ユリ コスチューム/金子功)平凡出版 1970年
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