ローマ・オリンピックが開かれた1960年、27歳の青年堀内は、どうしても外国が見たくなり、ヨーロッパ旅行に出かけます。パリを拠点とし、半年間にわたって20ヶ国以上を巡る一人旅でした。
 その後は、「アンアン」などの仕事を通じて、海外ロケのために堀内は世界各地に積極的に出て行きます。
 そして1974年に家族とともにパリ郊外に移ってからは、そこを拠点に、さらに各地へと旅に出て行くのです。
 堀内が描く、旅先からのイラストと手書き文字によるレポートは、雑誌「アンアン」や「装苑」に連載され、また本としてもまとめられていきます。手書きとは思えない見事な地図と、要を得て簡潔で、味のあるイラストと文章。実に魅力的です。
フランス、パリ、モンパルナスの眺め

堀内誠一
 また、これらと並行して、堀内は海外から私信として、家族、友人、知人らにあてたアエログラム(ヨーロッパの航空書簡:薄いブルーの便箋を四つ折りにし、糊で閉じるもの)を過剰なほど大量に送っています。これらも、雑誌連載のための旅のレポートに勝るとも劣らない出来映えです。プライベートなものであるだけに、かえって、より率直な堀内が反映されているのかも知れません。雑誌への連載記事は「身近な人に送る手紙をさらに不特定多数の人に宛てて書いてる感じ。アエログラムの延長だった気がします。」*4と、長女の花子さんは語っています。
 54歳の生涯に28ヶ国、のべ300都市以上を旅した旅行家・堀内誠一。訪ねた街の数ほどに幅広く活動し、デザイナー、絵本作家など様々な顔を持った20世紀の稀代のクリエーター。まるで「旅」のようなその生涯で、堀内はいったいどこへ向かっていったのでしょうか?
 【図版右上】福音館書店編集部宛「フランス、パリ、モンパルナスの眺め」 1974年3月11日消印
 【図版左下】マガジンハウス社屋8階にある壁画(堀内誠一画)の前で 1983年

(専門学芸員 友井 伸一)
(徳島県立近代美術館ニュース No.73 掲載)

 *1 堀内誠一著『父の時代・私の時代 わがエディトリアル・デザイン史』マガジンハウス 2007年 p.54
 *2 前掲書 p.127
 *3 コロナ・ブックス編集部編『堀内誠一 旅と絵本とデザインと』平凡社 2009年 p.61
 *4 「イラストレーション」7月号No.178 玄光社 2009年7月1日  p.119-120
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