所蔵作品展2000-III
解説パンフレット


20世紀美術の開拓者たち

 

 20世紀の初頭は、美術が大きな変貌を遂げます。ピカソやマティス、クレー、レジェなどの革新的な作家たちが次々に現れ、最前線の美術表現を切り開いて行ったのです。

 彼らの作品に見られる色や形、筆使いなどは、これまでの常識をくつがえすものでした。そして、それらは単に目新しさをねらったものではなく、習慣的なものの見方では気がつかない側面を再発見させてくれるものだったのです。また、そこでは、何が描かれているかということも大切ではありますが、どのように描かれているのかという点がこれまで以上に注目されるようになります。そして、色や形そのものが持つ魅力が前面に押し出されるようになってきたのです。

 そんななかで、「人間」は重要なモチーフとして用いられています。そこに登場する人間は、必ずしも我々が見慣れた姿をしているわけではありません。しかし、たとえ奇妙な姿をしていても、そのほうが、みかけのそれらしさよりも、その人間をよりよく表現できる場合もあるのです。

 ここでは、20世紀初頭の激動の時代を生きた作家たちが、どのように「人間」を表現してきたかをご紹介します。

 

 

●巨匠たちの人間像

 20世紀初頭の美術動向をリードした人々は、新しい描き方を見つけ出しただけではなく、ものの見方を問い直そうとしました。これまで現実的であると思っていた姿は、はたして本当の姿なのだろうか。これまでのものの見方では見落してしまう所があるのではないだろうか。そしてその時、絵画や彫刻はどのような可能性を持つのだろうか・・・。

 そのような探求と実験のなかで、「人間」はもっとも身近で奥の深いテーマとして登場してきます。たとえばピカソは人間をモチーフにした多くの作品を残しています。

 ピカソが描く人間像は、ゆがんだ形や現実にあり得ないような色使いのものが少なくありません。「なぜ、見えるとおりに描かないのだろう」とか「もっと上手に描いたらいいのに」と感じることもあるでしょう。でも、本当に人間らしいと言えるのはどんな姿なのでしょうか。きれいに描くことだけが、良いとは限りません。「どんな風に描けば、自分が感じた人間の姿を表すことができるのか、そして、それによって、何を表現したかったのか」と問いかけるとき、答えは決して一つではありません。

 ここでは、ピカソ、クレー、ダリの三人を取り上げて、彼らが描いた人間像を見ていきましょう。

 

 

ピカソの視線

 <赤い枕で眠る女>に描かれたピカソの恋人マリー=テレーズは、体の前と後ろが同時に見えるように描かれています。<ドラ・マールの肖像>は、一見横顔のように見えますが、目や鼻の描き方から、正面向きの顔にも見えます。これは、我々が常識的に思い描く人間の姿とは異なっています。

 ピカソは、人がものを見る時に、写真のような一方向からの固定した視点で見ているわけではないことに気づいていました。実際は、いろんな方向から見たり、見えない部分を補ったりしながら、全体としてそのものを認識しているのです。

 すやすやと眠る恋人の姿をそっと見守るピカソ。彼の視線は、愛しい人の顔も胸もお尻も、その全てを追いかけていたのに違いありません。そんなものの見方、対象に対する接し方が、これらの作品には反映されています。

 別の方向から見た姿を同じ平面上に描くこの方法は、ピカソがキュビスム※ の実験を行っていた時に獲得したものです。この作品を描いた時は、ピカソはすでにキュビスムからは離れていましたが、その方法論は引き継いでいます。

 西洋で発明された遠近法は、平面上に、一見すると立体的で奥行きのある像を見せてくれます。しかし、その立体感は見せかけのものです。そのことを、我々はつい忘れがちです。ピカソはものを見ること、それを認識することを、先入観のない新鮮な目で問い直しました。そして、その成果を絵画によって実現し、我々に見せてくれているのです。

 

 

※立体主義、立体派。立体的なものを二次元の平面上に表すため、多くの面に分解し再構成する方法。

 

 

クレーの抽象的な人体

 クレーの<子供と伯母>には二人の人物が描かれています。とはいっても、それらは写実的に描かれているのではなく、単純化された人間の形態が、線と色によって構成された画面のなかにとけ込んでいます。ここでは、キャンバスの代わりに、穀物用の袋などに使われるジュートが用いられ、その上には厚い石膏地が施されています。抽象表現を洗練させ、新しい造形理論の探求に余念のなかったクレーの実験精神あふれる作品です。

 抽象的な作品は、とかく難しいもののように思われがちですが、それに親しむヒントは意外に身近なところにあります。たとえば音楽です。一つ一つの音は、何かを意味しているわけではありません。しかし、それらが組み合わされてできた音楽は、たとえ歌詞がなくても我々を楽しませてくれます。

 この作品に見られる、色や形の断片が構成する人体像は、抽象美術という前衛的な表現が可能にし、発見した人間の姿です。しかし、ここに描かれた女性と子供は、そういった造形的な新しさだけを見せているのではありません。ここには再現的で説明的な描写はないにもかかわらず、二人の姿からは、いかにも楽しく優しげで、暖かい情景が伝わってきます。まるで、色と形が響き合って奏でる穏やかな音楽を聴くかのように。そこに、音楽を愛し子供を愛したクレーの、人間に対する慈愛に満ちた視線を感じることができるのではないでしょうか。

 

 

ダリにとっての現実とは

 トウモロコシを首飾りのようにぶらさげ、フランスパンを帽子のように頭に載せた美しい女性の胸像。パンの上には、ミレーの名作<晩鐘>に描かれた祈る農民の夫婦をかたどったペン立てが置かれ、女性の顔には蟻がはい回っています。この不思議な彫刻<女の胸像(回顧された)>は、シュルレアリスムの代表的作家、ダリの作品です。

 シュルレアリスムは、超現実主義と訳されます。超現実とは、非現実的なものを指すのではなく、きわめて現実的、つまり現実性が度を超えて高いということを意味します。それでは、この奇妙な女性の姿のどこが現実的といえるのでしょうか。

 我々が現実であると思っている世界は、ひょっとすると世界のほんの一部分なのかもしれない。人間の無意識や夢の領域に関心を持ったダリは、意識していないけれども確かに我々に対して作用している世界を引き出そうとしました。

 女性の像や、パン、トウモロコシ、蟻など、この作品を構成しているものは、ダリ自身の深層心理に潜む性的な抑圧や感情のこわばりのようなものを象徴すると言われます。そして、一つ一つの姿はそれぞれ写実的ですが、それらの取り合わせが意表を突きます。一見現実離れして見える、この思いがけないもの同士の出会いが、見る人の心の奥底をざわつかせ、我々が気づいていない「現実」への扉を開いてくれるのです。  【執筆: 主任学芸員 友井伸一】

 

(所蔵作品展2000-III 解説パンフレットより)