所蔵作品展2000-III
解説パンフレット


戦後 多様化する表現 (上)

 

 第二次世界大戦後すぐの時期には、洋の東西を問わず、テーマとして人間が数多く取り上げられました。時には激しいタッチで、時には無骨な力強さを込めて描かれた人間は、戦争という悲惨な時代を経て、その存在が問い直されているかのようです。

 また、その表現が絵の具の物質感を強調することを伴っていたので、絵画もまた一つの物であるという側面が浮かび上がってきたことも事実です。そして、作品に絵の具以外の物が用いられ、さらには日用品が貼り付けられたりするようにもなりました。この結果、特に日本では既成の絵画とか彫刻と言ったジャンルではおさまらない作品が生み出されるようになります。1960年頃に現れたこうした動向は、「反芸術」と呼ばれました。「反」と言う言葉が用いられたのは、安保闘争などの時代背景もあるでしょう。しかし、今から見れば作品とは何かということを考える幅が広がったのだと言えます。

 その結果、様々な人間像が生み出されたのですが、次第に、その時々の最先端の考え方では、取り上げられなくなっていきます。これは、欧米の場合でも同様でした。ただし、このことが人間像というテーマが無効になったことを意味するわけではありません。個々の作家の中で、人間像が追求されていった例は珍しくありません。

 人間像が再び表舞台に登場するのは80年代に入ってからのことです。  【執筆: 主任学芸員 吉川神津夫】

 

 

1950年代
欧米

 第二次世界大戦が終わり、ヨーロッパではアンフォルメル(非定形)という動きが注目されるようになります。アンフォルメルとは「形(フォルム)が定まらない」ということを意味するフランス語です。そこに描かれる形は崩れてゆがんでおり、激しい筆触は、描かれた形よりも、描く行為そのものを生々しく伝えてきます。また、厚く塗られた絵の具は、何かを彩るという役割を乗り越えて、絵の具の「もの」としての物質感を強く押し出しています。

 内面の情熱や感情がほとばしり出たような色と形が生み出す混沌とした画面は、時として破壊的です。それは、調和や統一性とは無縁であり、いかなる抑圧や規制からも自由なのです。そこから感じることのできる「どんな風に描いてもいいのだ」という解放感は、同時に戦争からの解放感であったのかもしれません。

 戦争体験は、人々の間に「人間」の根源的なあり方への関心を呼び起こしました。そのことは、美術においても「人間」が重要なテーマとして取り上げられて行く背景となって行きます。

 アンフォルメルと連動するかのようにアメリカでは抽象表現主義が起こりました。そして、このような動向は、混乱から出発した戦後の美術をリードし、日本にも大きな影響を与えることとなるのです。  【執筆: 主任学芸員 友井伸一】

 

 

1950年代
日本

 第二次世界大戦の敗戦国である日本は、それ故被害も甚大でした。この時期、肉親・友人など身近な人間の死を経験した多くの画家たちが人間像を取り上げたのは、必然かも知れません。特に、戦争前までは抽象的な作品を描いていた作家も、この時期に限って人間を取り上げていた例もあるのです。

 その表現の仕方も、写実的に再現すると言ったものではなく、無骨に人体をゆがめたりしたもので、用いられた色彩も茶褐色や灰色であったりします。こうした表現は決して明るいものではありませんが、人間の生の根源的な力を感じさせるものです。

 ただ、こうした表現が作家たちの戦前の問題意識と全く切り離されたというわけではありません。例えば、鳥海青児(ちょうかいせいじ)は戦前にヨーロッパ各地を巡った作家です。そして、いかに日本的な油絵を描くのかということに苦心し続けたのです。その最初のアプローチは風景が中心だったのですが、戦後になって、いくつかの人間像が追求されます。彼の作品の場合、直接的に戦争の影を感じることはありません。むしろ、彼の作品の色彩、絵の具の質感の中から、いかに日本を感じさせるのかが重要なのです。  【執筆: 主任学芸員 吉川神津夫】

 

 

戦後の日本画

 日本の敗戦は、日本文化が受け継いできた大切な価値を低めてしまう風潮を生み出し、「日本画滅亡論」が唱えられるほどでした。そのなかで日本画家たちは、古い殻をうち破り、新しい表現を探し求めていくことになります。新たに結成された創造美術協会(現在の創画会)やパンリアル美術協会が画壇に新風を送り込んだ他、日本美術院(院展)や日本美術展覧会(日展)に集う作家も、それぞれの形で新しい時代の日本画をつくっていきます。「これが日本画?」と思われる作品が制作されるなど、日本画のイメージが大きく変わっていく時代でもありました。

 人物を描いた作品では、優美な美人画よりも、モデルの個性をきわだたせたり、作家の思いや考え方に重きを置いた表現が追求されていきます。たとえば、漁師の姿を捉えた大森運夫(おおもりかずお)の<九十九里浜II>は、働く人々の生活感があって、上品さや繊細さといったこれまでの日本画のイメージとは異なる力強さが感じられます。また、中村正義(なかむらまさよし)の<男女>には、古い日本画の概念そのものを問い直す創造的な精神に満ちており、今までにない素材や形態が大胆に用いられています。中村は、人間の存在や自分自身の内面を奥深く見つめた作家でもありましたが、そのような姿勢は、画風の異なりを越え、当時の作家たちに通じる傾向でした。戦後日本画の個性的な人間表現は、人間を直視し、型にはまらない表現を求めた作家たちによって切り開かれていきました。  【執筆: 主任学芸員 森芳功】

 

 

(所蔵作品展2000-III 解説パンフレットより)