徳島県立近代美術館
学芸員の作品解説
書きものをする娘
1957年
油彩 キャンバス
100.0×72.7
大沢昌助 (1903-97)
生地:東京都
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大沢昌助書きものをする娘
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徳島新聞 美術へのいざない 所蔵作品選1995

大沢昌助 「書きものをする娘」

竹内利夫

 テーブルに向かう子どもの何気ないひとときを、作家は切りつめたわずかな線でつかまえようとしています。強くほぐれないパズルのように画面を仕切る線。細かいところは省略され、大切な形だけが残されているように見えます。そして、明るい土色の色彩は平板に見えて微妙に揺らぎ、オレンジやグリーンの光に華やいでいます。作家はこの小さな物語をまるで宝物のように、張りつめた手ぎわで仕上げていったのでしょう。
 大沢昌助(1903-97年)は東京都に生まれました。父三之助は東京美術学校(現・東京芸術大学)の教授をつとめた建築家。父が海外から持ち帰った画集や知人らを通して、幼少時から絵に親しむ環境にありました。中学生の頃から水彩画の手ほどきを受け、1928年東京美術学校西洋画科を首席で卒業。翌年から二科展に出品、1942年には二科賞を受賞しています。戦争をはさんで30代、40代には児童雑誌や絵本、教科書の仕事を手がけます。1954年から70年まで多摩美術大学教授として勤めました。
 一貫して絵の道を歩んだ人生でしたが、その画風は一つところに安定することなく、うつろう興味に従って変遷を続ける画業でした。その初期には、計算された構図の中にギリシャ彫刻を思わせるような少年像が描かれる、理知的な表現で評価されました。本作品が描かれた50代半ば頃はちょうど、簡略化された形だけで絵が作られるようになっていく時期で、ついには完全な抽象画の表現に向かっていきます。
 「描いていた絵を眺めているうちに、何となくひっかかるものに気がついたり、すっきりと満足出来ない気持ちのことがある。あそこを消し、ここの色を変え、そして満足した時には、全てのものを描きこんだ時ではなくて、その他のものがみんななくなった時である。」 (『大沢昌助画集』 1974年 ギャラリーためなが) これは71歳の時の文章ですが、まるでこの絵のことを語っているようにも聞こえます。
 もう一度画面に目を向けてみましょう。要約された線は波のように行き交いながら、緊張をたたえたリズム感を走らせます。その中に、一心に力を込めた手や、ちょこんと横木にのせた足のふんばり、集中する背筋、全てが織り込まれます。輝く色彩のタッチにしても細部に全体に、光のリアリティを暗示し画面に力を与えています。眉間のあたりはわずかに暗い色がこもって、考え込んでいるようにも、泣きはらしたようにも見えるのです。大胆な省略が目をひくこの場面は、しかし、作家が若い日から追求してきたリアリズムのまなざしにやはり根ざしていると思われてなりません。
 この絵を鑑賞して、「悲しくて母への手紙かきました」と短文にあらわした子がいました。その子が読み取った内面のリアリティは、確かにここに詩情として、否、画家のリアリティとしてイメージを結んでいます。
徳島県立近代美術館ニュース No.75 October.2010 所蔵作品紹介
2010年10月1日
徳島県立近代美術館 竹内利夫