徳島県立近代美術館
学芸員の作品解説
学芸員の作品解説
UNTITLED 2
1987年
アクリル系パテ、その他
122.9×118.4
1987年
アクリル系パテ、その他
122.9×118.4
井原康雄 (1932-)
生地:大阪府
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井原康雄UNTITLED 2
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所蔵作品選1995
毎日新聞 四国のびじゅつ館
井原康雄 「UNTITLED 2」
吉原美惠子
アメリカン・ドリームの具現者として私たちは実に多くの人々の名を思い浮かべることができます。政治、文化、科学からスポーツの分野まで、アメリカは建国以来、その二百余年の歴史の中で幾多のヒーロー、ヒロインを生み出してきました。とりわけ二十世紀のアメリカは、マスメディアの発達に乗じて、そのパワフルな大衆文化をもって世界中を席けんしたのです。マリリン・モンローもそのようなアメリカの大衆文化の中であでやかに開花したヒロインの一人です。ハリウッドというアメリカにおける映画産業の拠点からは数えきれないほどのスターが輩出しましたが、マリリンはそのアメリカ映画史のなかでもひときわ輝く存在であるといえましょう。そのグラマラスな肢体でもって、マリリンはセクシーで心根のかわいらしい女性をスクリーン上で最も効果的に演じることができました。彼女はイノセンス(無知)の魅力を備えて、アメリカの一面を代表したのです。そして無知なるゆえに純粋で、汚れのない童女のような精神と、成熟した肉体との危うい均衡が、彼女をまるで溶け崩れてしまいそうな砂糖菓子にたとえさせもしました。加えて彼女はその不幸な生い立ちや度重なる結婚生活の破たんによってもよく知られるように、私生活においては孤独でした。
1950年代に、次々と代表作を作り上げてスターの地位を不動のものにした後、1962年にマリリンはロサンゼルス郊外の自宅で睡眠薬を多量に服用し、永遠に私たちの前から姿を消してしまいました。そのなきがらの傍らには、受話器が置かれていたといわれます。この死の床のありさまもドラマチックで、死後もなお世界中の人々の中にマリリンのイメージは生き続けているのです。
そのマリリンのイメージが多くの芸術家によって表現されてきました。大衆社会のシンボルとしてアメリカのポップ・アーチスト、アンディ・ウォーホルが繰り返し描き続けたことはあまりに有名です。あるいは「ナイアガラ」という映画で有名になったモンロー・ウォークをほうふつさせる岡本信治郎の体の線を強調したマリリンや、ブロンドでセクシーな表情のマリリンを描いた伊原康雄など、作品のなかのマリリンは、一種の聖像のような雰囲気をも持ち合わせています。
徳島新聞 県立近代美術館 06
1990年11月14日
徳島県立近代美術館 吉原美惠子
1990年11月14日
徳島県立近代美術館 吉原美惠子