徳島県立近代美術館
学芸員の作品解説
徴兵拒否
1977年
油彩 キャンバス
130.6×97.0
山下菊二 (1919-86)
生地:徳島県
データベースから
山下菊二徴兵拒否
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山下菊二 「徴兵拒否」

江川佳秀

たくましい黒人の体躯を描き、首の部分に車椅子の白人を描いています。黒人は手にテーピングをし、リングのロープにもたれかかっています。生涯に3度世界ヘビー級チャンピオンの奪取に成功し、通算19度の防衛に輝いたアメリカのプロ・ボクサー、モハメド・アリ(Muhammad Ali 1942~2016年)です。白人は膝に輸液袋を置き、首をうなだれています。ベトナム戦争に従軍して傷ついた白人兵でした。
 山下菊二にとってアリとは特別な存在でした。1960年ローマ・オリンピックのボクシング競技で優勝したアリは、プロ転向後は無敗でヘビー級チャンピオンを獲得しました。しかしベトナム戦争への徴兵が決まったとき、「俺はベトコン(アメリカ軍が戦っていた南ベトナム解放民族戦線の兵士)に何の恨みもない」と徴兵を拒否し、禁固5年、罰金1万ドルを科せられました。チャンピオンベルトとボクシングのプロ・ライセンスも剥奪されました。
 後にプロ・ライセンスを回復すると、アリは再び実力でチャンピオンに返り咲き、81年に引退するまでボクシング史上に残る数々の名勝負を戦っています。また、何年も法廷闘争を続け、徴兵拒否は1971年7月に最高裁で無罪判決を勝ち取りました。その間アリは、ベトナム戦争や人種差別について積極的な発言を続けています。現代でこそ珍しくありませんが、社会問題に対し勇気をもって発言した最初のプロ・アスリートでした。
 一方、作者の山下は、戦争中に徴兵され中国戦線に従軍しました。戦場ではさまざまな残虐行為を目にし、山下も荷担することを強いられました。しかし戦後になって、極めて少数ながら、懲罰を覚悟の上で上官の命令を拒否した日本兵がいたことを知り、なぜそれが自分にはできなかったかと深い自責の念にとらわれます。そして自らの戦争体験を問い詰め、戦争や差別など人権にかかわる問題を世の中に訴えかけることを作品のテーマとしていきました。山下にとってアリとは徴兵を拒否した英雄であり、社会の不正に抗議を続ける同志だったのです。
 山下夫人、昌子氏によると、昼間仕事で家を空けていた昌子氏が帰宅すると、テレビで試合中継を見ていた山下が、「アリが勝ったぞ」と興奮気味に語り、本当にうれしそうだったといいます。
さて、車椅子の白人兵です。アリが徴兵を拒否したということは、その代わりに戦場に送られたアメリカの若者がいたということです。白人だったか黒人だったか、そして無事生きて帰ったかどうかも分かりません。この車椅子の白人ではなかったかもしれませんが、アリでなければ、間違いなく別の若者が戦場に送られはずです。アリへの敬愛の思いと同時に、庶民に降りかかる戦争の災禍を描いた作品といえそうです。
徳島県立近代美術館ニュース No.116 January.2021 所蔵作品紹介
2021年1月1日
徳島県立近代美術館 江川佳秀