徳島県立近代美術館
学芸員の作品解説
学芸員の作品解説
鳴門
1949年
紙本着色
218.5×139.7
1949年
紙本着色
218.5×139.7
池田遙邨 (1895-1988)
生地:岡山県
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池田遥邨鳴門
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池田遙邨 「鳴門」
森芳功
明治維新の後、日本画を新しい時代に対応させようとする試みは、東京でも京都でも行われましたが、事情は少し異なっています。前回述べましたが東京では、御用絵師であった狩野派が幕府の崩壊と運命をともにしたように、政治の変動に大きな影響を受けました。それに対して京都では江戸時代後期の画派は市民階級が支えていました。このため、維新の激動に耐えられただけでなく、自らの力で近代化の歩を進めていきます。京都最大の画派だった円山・四条派は、江戸時代後期の出発点から写実主義的な傾向を持っており、新しい時代への対応の試みを始めていました。京都画壇近代化のリーダー竹内栖鳳(たけうち・せいほう)もこの円山・四条派の流の上に現れ、そこに西欧から学んだ表現や日本の伝統を新たに解釈した表現を融合させてゆきます。彼に続く京都画壇の作家たちは、多少の個人差はあるものの、この栖鳳の路線を引き継いで活躍していくことになります。
画壇的には、文展や帝展などで、勢力を東京画壇と分け合う一方、1918年には京都画壇の急進的な人たちが国画創作協会を結成。革新的な表現をめざす作家たちがそこへ集まります。徳島市出身の三岡明(みつおか・あきら)も国画創作協会展に出品した一人です。
今回紹介する池田遙邨(いけだ・ようそん)は、京都市立絵画専門学校(現・京都市芸大)や竹内栖鳳が主宰する画塾・竹杖(ちくじょう)会に学び、帝展や文展、戦後は日展で活躍した作家です。日本芸術院会員、文化勲章の受章者としても知られています。
遙邨は、若いころムンクに感動したといいますが、後には安藤広重が最も好きな画家だと語っています。広重といえば東海道五十三次を描いた江戸時代の画家ですが、遙邨もハッピ姿で五十三次をはじめ各地を旅したといいます。
「旅する画家」といえるほど、彼の表現にとって旅は深くかかわっているのです。この「鳴門」(徳島県立近代美術館蔵)もそのような旅の感動が、イメージ豊かに描かれたものといえます。
この作品は一見、童画のような印象を与えますが、よく見ると独特の画趣が感じられます。緑の海の中に真っ白な泡をつくる渦の表現は、力強さだけでなく、その曲線が面白味を生みだし、曲線と曲線のつらなりがダイナミックな装飾感をつくりだしています。京都の画派が伝統的に持つ自然の美をとらえようとする姿勢に、遙邨の独自の創造性と詩心を重ね合わせたのがこの作品の表現世界といえるでしょう。
徳島新聞 県立近代美術館 47
1991年8月28日
徳島県立近代美術館 森芳功
1991年8月28日
徳島県立近代美術館 森芳功