徳島県立近代美術館
学芸員の作品解説
熱血漢
1955年
油彩 キャンバス
65.0×50.5
ジャン・デュビュッフェ (1901-85)
生地:フランス
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デュビュッフェ熱血漢
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所蔵作品選1995 毎日新聞 四国のびじゅつ館

ジャン・デュビュッフェ 「熱血漢」

吉原美惠子

 「熱血漢」と題された作品があります。目をかっと見開き、口を真一文字に引き結び、右手を胸に当て、正義に燃える激しい意気が画面からひしひしと伝わってきます。しかし、粗々しく力強いこの作品は一見すると、子供の落書きのように見えなくもありません。
 作者ジャン・デュビュッフェ(1901-1985年)はフランスに生まれました。家業のワイン商を継いでいたのですが、四十一歳のとき、絵画に専念することを決意。彼は1944年の個展で、既成の絵画の概念をうち破るような厚塗りの画面でデビューしました。この初めての作品発表は世の人々の注目するところとなり、彼は第二次世界大戦後の西欧の前衛芸術運動であるアンフォルメル(非定形芸術)に大きくかかわっています。
 やがで、デュビュッフェは従来の伝統的な西欧の文化を嫌い、子供や原始の人びと、精神に疾患のある人の創造行為のなかにある本能や無意識に創造の初発を求めました。それはまた、理知を重んじる当時の文化の主流への抗議でもありました。彼が命名した「アール・ブリュット」は生の芸術といわれ、その粗暴な魅力は、いきで洗練されたものを好んだサロン的な文化に対する鋭い切り込みであったといってよいでしょう。
 このデュビュッフェの創作活動に敏感に反応したグループがありました。「コブラ」とよばれるこのグループは参加した画家たちの出身地、コペンハーゲン、ブリュッセル、アムステルダムの頭文字をつなげて名付けられたもので、1948年にパリで結成されました。目の覚めるような鮮やかな色彩と、激しく力強いタッチで情熱のほとばしりが感じられる画面がその特徴となっています。
 そのコブラの主要なメンバーの一人であったオランダ出身の画家カレル・アペル(1921年生まれ)の作風にもその特徴をよくみて取ることができます。「裸婦」(1957年作)において、画面いっぱいに大きく横たわる裸婦が強烈な赤の色彩を主に描かれています。画面全体が描きなぐったような厚塗りで、なかでも裸婦の腰部の量感は見るものを圧倒します。原始芸術のなかで女性がその腰部とでん部を強調されてきたように、アペルの描く裸婦にもそのたくましく、生命力に満ちた原始的なエネルギーのもつ魅力があふれています。
徳島新聞 県立近代美術館 07
1990年11月21日
徳島県立近代美術館 吉原美惠子