ふらんすへ行きたしと思ヘども
ふらんすはあまりに遠し
せめては新しき背広をきて
きままなる旅にいでてみん
(萩原朔太郎「旅上」より)
今でもこの詩が人々の口の端に上ることがあるように、日本人にとってフランスが特別な場所だった時代がありました。ふたつの大戦にはさまれた1920年代から30年代にかけて、第一次大戦後の好景気を背景に、フランスではさまざまな芸術が一斉に花開きました。音楽や舞踏、文学など、世界の芸術の中心地のような様相を呈しています。日本に限らず世界中の若者たちにとって、フランスとはあこがれの場所だったのです。
美術の世界に目を向けると、日本からも無数の画家がパリの街に引き寄せられています。一説によると、常時数百人の日本人画家がパリに滞在していたといわれます。時代はまさにエコール・ド・パリの時代。この展覧会では、あこがれの地で全盛期のエコール・ド・パリを目のあたりにした日本人画家たちが、それをどう受けとめ、どう身を処したか、あるいは祖国の美術界に何を持ち帰ったか、そういったことを考えてみたいと思います。
ふらんすはあまりに遠し
せめては新しき背広をきて
きままなる旅にいでてみん
(萩原朔太郎「旅上」より)
今でもこの詩が人々の口の端に上ることがあるように、日本人にとってフランスが特別な場所だった時代がありました。ふたつの大戦にはさまれた1920年代から30年代にかけて、第一次大戦後の好景気を背景に、フランスではさまざまな芸術が一斉に花開きました。音楽や舞踏、文学など、世界の芸術の中心地のような様相を呈しています。日本に限らず世界中の若者たちにとって、フランスとはあこがれの場所だったのです。
美術の世界に目を向けると、日本からも無数の画家がパリの街に引き寄せられています。一説によると、常時数百人の日本人画家がパリに滞在していたといわれます。時代はまさにエコール・ド・パリの時代。この展覧会では、あこがれの地で全盛期のエコール・ド・パリを目のあたりにした日本人画家たちが、それをどう受けとめ、どう身を処したか、あるいは祖国の美術界に何を持ち帰ったか、そういったことを考えてみたいと思います。
