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中村正義



中本達也



永井一正



永田春水



長沼守敬



流政之







『ナジャ』 アンドレ・ブルトン著



那須勝哉



那須宗隆射扇図



「謎のこたえが解りますか?」



ナタン(ジャックガラモン)



那智瀑布図



ナッシュ



夏:手摺りの上の猫



夏姿



ナティエ



ナナディッツェル



七羽の鸚鵡



ナビ派


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なちばくふず

那智瀑布図

作家名:富岡鉄斎
制作年:1875-1884年頃
技 法:紙本墨画
鉄斎は、全国各地の神社仏閣、陵墓を訪ね、あるいは富士山や筑波山などの信仰の対象となる霊山に登り、それらを描いてきた。那智の滝を描いた本図もその一つである。和歌山県南東部にある那智の滝は、滝そのものが那智大社の御神体となっている。落差133メートルにおよぶ霞のかかる滝を、画面の中央に置いて描いている。画面の下に小さく見える拝殿と比較すると、滝の高さが強調されて見える。手前の濃墨の杉木立から、淡く湿潤な筆による中景の木々、そして渇筆で描かれた山肌の表現など、筆墨の表情を変えることで、遠近感や表情の変化を生み出している。鉄斎はここで、明清絵画などの様式や技法にこだわらず、素直に実景から受ける感興を画面に表している。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年)


カテゴリー:作品
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富岡鉄斎とは?【 作家名 】

京都に法衣商十一屋伝兵衛、富岡維叙の次男として生まれる。はじめ、猷輔を通称とし、のちに道昴、道節と称した。一時、鉄斎を名としたが、百練を戸籍上の名とし、字を無倦、号を鉄斎とした。別号は多い。幼い頃より、国学、儒学、詩文、陽明学や仏教など、幅の広い学問を修めた。20歳頃には、歌人の大田垣蓮月の学僕となっている。絵は、大角南耕に手ほどきを受けるが、小田海僊や浮田一●(いっけい)らを訪ねたり、長崎で木下逸雲らと交流し、明清絵画にも触れるなど、主に独学で修行をはじめた。明治維新後は、奈良の石山神社や大阪の大鳥神社などの神官をつとめながら、「万巻の書を読み万里の路をゆく」文人生活をおくり、全国を行脚。46歳のとき京都に居を定めた。以後、89歳で亡くなるまで、文人生活を貫きながら制作を続け、明清絵画、南画を軸に、大和絵、琳派、浮世絵など日本絵画の多様な表現を、自己の表現のなかに取り込んでいった。さらに晩年期は、明治末、大正期の新しい気風にも反応して、それらを融合した独自の表現をつくりだした。明治19年(1886)京都青年絵画研究所の品評員となるなど、展覧会の審査員をつとめるが、学者としての立場から出品はしなかった。大正6年(1917)帝室技芸員、大正8年(1919)帝国美術院会員となった。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年)

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