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イタリア広場
この展覧会にも〈噴水のあるイタリア広場〉(1960年頃)という作品が出品されていますが、この「イタリア広場」は1910年代の初めから、度々描かれてきたデ・キリコを代表するテーマの一つです。
それではまず、「イタリア広場」とはどのような場所なのか、出品作品を見ていきましょう。アーケードがある建物、その間にある噴水、二人の人間、彼方に聳える塔、その手前を走りすぎる汽車。明るく照らされている地面と対照的に色濃く伸びた建物の影。これらの要素のうち、特にアーケードのある建物と長く伸びた影は、あらゆる時期を通じて「イタリア広場」に共通するものです。
そして、注意深く作品を見るとところどころ奇妙な点に気付きます。塔の背景の空は暗いにもかかわらず、手前の地面は明るく照らされており、対照的に建物の影が色濃く伸びています。また、汽車は走っているはずなのに、煙突の煙は流れずに、真上に上がっています。このように作品に描かれているのは非日常的な光景なのです。
この広場はデ・キリコが創造した架空の広場ですが、そのイメージの源泉はトリノやミュンヘンと言った都市であるとか、文学作品であるとか様々な指摘がされています。また、汽車は鉄道技師であった父への思いであるとの指摘もあります。しかし、例えそうであったとしても、作品の「謎」を解明してくれるわけではありません。むしろ、見る者の不安をかきたてることにこそ、彼の意図があるかのようです。
人間もどき デ・キリコの作品を特徴づけるものとしては、マネキン人形のような像があります。しかも、その像の頭部には顔がありません。点や線が描かれている場合はあるものの、
単純に目や鼻とは言い難いものです。また、頭部は、マネキン人形というよりは、チェスの駒を連想させることもあります。また、胴の部分は様々に表現されています。
さながら人間もどきのような像にもかかわらず、作品タイトルには特定の人物が示されている場合があります。例えば〈ヘクトルとアンドロマケ〉(1970年)に描かれているヘクトルとはギリシアとトロイアとの戦争における、トロイア軍の総帥。そして、アンドロマケはその妻です。また、彼らがモデルとなっているにしても、顔がない故に男女の区別もわかりにくくなっています。
確かに、画面左の鎧を着ている方がヘクトルだろうと想像はできるものの、画面の中でまず目につくのは頭部であり、すぐさま男女の違いを見ることはできません。
人間がモデルにもかかわらず人間とは異なり、表情を見ることもできない像。ここでもまた、デ・キリコは「謎」を示しているだけなのです。 |