山下菊二
1919(大正8)-1986(昭和61)年

山下菊二 山下は木版画に熱中する谷口を見て育ち、美術に関心を深めていきました。高等小学校を卒業すると、兄のすすめで香川県立工芸学校に進学しました。普通の旧制中学校ではなく、「少しでも絵の描ける学校」をという選択でした。工芸学校を卒業してしばらくすると、上京して本格的に絵を学び始めましたが、このときも兄が反対する両親を説き伏せる役まわりを演じました。
 山下が戦争や差別など社会的な問題に関心を持つようになったきっかけは、自らの戦争体験にありました。1939(昭和14)年に徴兵された山下は中国南部の戦線に送られ、そこで日本軍の残虐行為を目撃し、自らも荷担することを強いられたのです。戦場で上官の命令は絶対でした。山下に逆らうことができるはずもありませんでした。しかし戦後になって、わずかながら懲罰を覚悟で命令を拒絶した日本兵がいたことを知り、なぜ自分にはそれができなかったのかと強い自責の念を抱きました。
山下菊二 シリーズ 戦争と人間 №12  山下の思索は、やがて戦争を生み出した社会のあり方や、そこに暮らす人々の意識にも向かっていきました。山下の理解では、人々を戦争という極限状態に追いやった背景には、因習や迷信などに秩序立てられた日本社会の前近代的な性格があり、自分もその中にとらわれていた、それが残虐行為を目撃しながら「傍観者」の立場から踏み出せなかった理由だと考えたようです。そして差別や従軍慰安婦などの問題も、この社会のあり方が生み出したと考えるに至ったのです。
 戦後の山下は、前衛美術展やニッポン展、从(ひとひと)展などさまざまな展覧会を通じて、この問題を問い続けました。戦後日本美術を紹介する海外の展覧会では、戦後日本を代表する美術家の一人として、必ずといっていいほど山下が取り上げられます。


【右図版】 制作中の山下菊二 飼っていた梟が肩にとまっている(撮影:谷田匡氏)
【左図版】 山下菊二  〈シリーズ 戦争と人間 №12〉 1982年
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