竹久夢二
竹久夢二 港屋絵草紙店 竹久夢二は、大正ロマンを代表する多才な芸術家です。幾人もの女性との恋愛でもよく知られています。
 明治17年岡山県に生まれ、早稲田実業学校を経て、新聞や雑誌のコマ絵から画家としての歩みを始めました。明治42年に出版した最初の画集「夢二画集 春の巻」が大好評を博し、続編の館を重ねて流行挿絵画家となりました。最初の夫人たまきをモデルとした目の大きな女性は、夢二美人の基となっています。
  大正3年に、日本橋呉服町に開いた絵草紙店「港屋」は、夢二デザインのカード、便箋、版画など多様なグッズで繁盛したといいます。この港屋で第2の女性・彦乃との出会いがあり、そのころに独特のS字型スタイルを作り出しています。大正5年頃からは詩作を多くし、同7年には、有名な「宵待草」の楽譜が出版されています(この展覧会では展示されません)。
 その翌年から第3の女性・お葉との生活があり、画家として充実した時期を過ごします。お葉との別れの後、日本から逃避するように昭和6年から8年にかけて欧米を旅行、帰国の翌年に亡くなっています。

【右図版】 竹久夢二 〈港屋絵草紙店〉 (港屋版 木版画)


高畠華宵

高畠華宵 華をいだいて(鈴蘭)  昭和3年頃に流行した「銀座行進曲」という流行歌の歌詞に「華宵ごのみの君も往く」と登場するくらい、大正から昭和の始めにかけての高畠華宵の描く女性は大人気だったといいます。また華宵が描く凛々しい美少年も宝塚歌劇の男装の麗人を思わせる妖しい魅力を湛えています。
 明治21年愛媛県に生まれ、京都市立美術工芸学校を経て上京、同43年に描いた津村順天堂「中将湯」の広告絵が出世作となりました。その後、講談社を始めとする雑誌の挿し絵で大人気作家となります。昭和8年頃から日本画に専念し、晩年は病に倒れ、昭和41年に没しました。


【左図版】 高畠華宵 〈花をいだいて(鈴蘭)〉 (原画) (c)弥生美術館
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