徳島県立近代美術館
学芸員の作品解説
学芸員の作品解説

白衣を纏える
1928年
油彩 キャンバス
100.6×81.4
1928年
油彩 キャンバス
100.6×81.4
伊原宇三郎 (1894-1976)
生地:徳島県徳島市
生地:徳島県徳島市
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伊原宇三郎白衣を纏える
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伊原宇三郎 「白衣を纏える」
江川佳秀
1925年3月、伊原宇三郎はパリに渡ります。そのころパリには里見勝蔵、前田寛治、佐伯祐三など伊原と同じころ東京美術学校を卒業した画家たちが滞在していました。伊原は、若さに満ちた自由で奔放な留学生活を彼らと送ることになります。前田の回想によると、彼らは毎晩のように寄り集まってはセザンヌやゴッホへの感動を語り合ったということです。彼らはエコール・ド・パリの雰囲気の中で、フランスのさまざまな画家の画風を吸収します。里見は前回ふれたようにヴラマンクの指導をうけ、フォーヴィスムの心情をそのまま画面に映し出す表現を自分のものとします。前田はフォーヴィスムに関心をよせる一方で、アングルやクールベの写実表現に学び、それらを融合することで自分の表現をつくりだそうとしました。佐伯はヴラマンやユトリロの画風を通じて、情感あふれる画風をつくり出しました。
伊原にもドランなど、フォーヴィスムの作家の影響が見られますが、特に心をよせたのはピカソです。彼はピカソの作品を見るためにパリ中の画廊を訪ね歩いたこと、模写をくり返したことなどを書き残しています。帰国後はピカソに関する著述をいくつも刊行し、それらは1930年代のピカソブームをつくり出すきっかけの一つとなりました。
1925年から1929年にかけて、彼らは相次いで帰国します。帰国後、彼らの作品は日本の洋画壇にパリの新風を吹き込むものとして歓迎されました。当時の洋画壇は停滞の色を濃くしていましたが、そこに活気を与え、昭和期の新たな展開を導き出す役割を果たしたといえるでしょう。
「白衣を纏(まと)える」は1928年、パリ滞在中の作品です。いすに静かに腰を下ろした裸婦が、褐色を基調に、きびしく抑制された色彩で描かれています。豊かな手足の表現、彫刻的なまでに力強い量感のとらえ方などは、新古典主義と呼ばれる時期のピカソに学んだ成果なのでしょうか。派手な色彩やポーズの面白さはありませんが、それだけに重厚で気品のある作品となっています。作者の内なる詩情がにじみ出ているかのようです。まちがいなく伊原の代表作の一つに数えられる作品でしょう。彼にとってもこの作品はお気に入りの作品の一つだったらしく、40年近くたってからも、使い古したパレットをキャンバスがわりに描いたこれと全く同じ図柄の作品を残しています。
徳島新聞 県立近代美術館 27
1991年4月10日
徳島県立近代美術館 江川佳秀
1991年4月10日
徳島県立近代美術館 江川佳秀