徳島県立近代美術館
学芸員の作品解説
学芸員の作品解説
赤い枕で眠る女
1932年
油彩 キャンバス
38.0×46.0
1932年
油彩 キャンバス
38.0×46.0
パブロ・ピカソ (1881-1973)
生地:スペイン
生地:スペイン
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ピカソ赤い枕で眠る女
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所蔵作品選1995
ピカソの版画
パブロ・ピカソ 「赤い枕で眠る女」
友井伸一
パスキンが劇的な最期を遂げた年、ピカソはパリの北西六十五キロにある小さな村ボワジュルーに小さな城を見つけています。翌1931年には、そこにアトリエを構えました。彼は大型の銅版画プレス機を置いたり、巨大な彫刻を作るための広い空間を確保したのです。しかし、アトリエを移したのはもう一つの理由がありました。1927年1月、パリのギャルリ・ラファイエットの前でピカソは一人の女性の腕をいきなりつかみます。「お嬢さん、なかなか面白い顔をしている。あなたの肖像をかきたいのだが。私がピカソなのだよ」いかにピカソが奔放で、なおかつ既に名声を博していたとはいえ、唐突な出会いです。この娘はマリー・テレーズ・ワルテルといい、そのとき十七歳のスポーツ少女。大きな鼻がギリシャ彫刻を思わせる彫りの深い顔だちを際立たせており、わずかに白っぽい青色のひとみ、美しいブロンドの髪を持っていました。ガールハントまがいのやり口できっかけをつくったピカソは懸命に彼女をくどきます。彼にとって画家とモデルの関係は、おそらく確実に男と女の関係だったのでしょう。何はともあれ、彼女のとりこになったピカソは、やがて彼女を手に入れたのです。
しかし、ピカソには正妻のオルガがいます。かつては踊り子のオルガに魅入られて結婚し、キュビスムから新古典主義へと作風を脱皮させたピカソでした。しかし名声の高まりとともに派手な社交界とのつき合いが始まり、オルガとのブルジョア生活が苦痛になっていたのです。さらに制作面でも彫刻や版画に本格的に手を広げようとしていた矢先でした。あまりに唐突。しかし、それは運命が用意してくれていた出会いだったのかもしれません。
県立近代美術館所蔵の「赤い枕で眠る女」はボワジュルーのアトリエでマリー・テレーズをモデルに描かれたものです。眉間にくぼみのない、なだらかで大きな鼻は、このころ新境地を開いた彼の彫刻にも多用されています。柔らかい線を用いてデフォルメされた彼女の姿は、豊かで性的な女神であり、澄んだ色調がピカソのときめきを伝えてくれます。目を閉じてすやすやと眠る彼女が目を覚まさないように、息をこらえてそっとしている五十男のピカソの充実した幸福を思いやって、思わずほほえんでしまうことでしょう。
徳島新聞 県立近代美術館 20
1991年2月21日
徳島県立近代美術館 友井伸一
1991年2月21日
徳島県立近代美術館 友井伸一