徳島県立近代美術館
学芸員の作品解説
子供と伯母
1937年
油彩 石膏、ジュート
72.0×53.0
パウル・クレー (1879-1940)
生地:スイス
データベースから
クレー子供と伯母* ※作品画像あり
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毎日新聞 四国のびじゅつ館 美術館ニュース 鑑賞シート「指導の手引き」より

パウル・クレー 「子供と伯母」

友井伸一

 父は音楽の教師、母は声楽家、妻はピアニストであり、何よりも自分自身がヴァイオリン奏者であったパウル・クレー(1879-1940年)は、絵画制作に音楽の理論や考え方を取り入れていました。
 たとえば音楽のリズム感を、明暗や異なった色調の面の反復で表したり、楽譜を太さや長さ、高さの異なる「線」に置き換えることで音の視覚化を試みています。また、赤、黄、青の三原色が連なって順に変化していく状態を、音楽の輪唱(カノン)になぞらえています。
 赤から黄の方に向かうときは、次第にオレンジに変化していきますが、その時、赤はしだいに弱く、黄色はしだいに強くなります。やがて黄色が最高潮に達すると、次は黄色がだんだん弱くなり、緑に変化し、その後、青へと向かっていきます。
 この変化と循環を、クレーは、「しだいに強く(クレッシェンド)」と「しだいに弱く(デクレッシェンド)」を繰り返す3つの音が、少しずつ隣の音を追いかけながら、あるいは隣の音に追いかけられながら、音楽を奏でるカノンであると考えたのです。
 このような実験や研究を通じて音楽と美術の関係を探ったクレーの理想は、主旋律や伴奏といった区別がなく、それぞれの声部が対等に独立を保ちながらも、調和し統一されていく「ポリフォニー(多声音楽)」のような絵画でした。クレーは、様々な構造が同時に組み合わされていることにとどまらず、それぞれが個性を持つ様々な要素を、崇高な統一体として表現しようとしたのです。
 <子供と伯母>はクレーの晩年、1937年の作。ナチス・ドイツによる迫害を受け、そして難病である進行性皮膚硬化症を患いながらも、最後の輝きのように旺盛に制作を再開した頃の作品です。彼はこの37年には264点。翌38年は489点、39年には1253点を制作し、没した40年にも366点の作品を残しています。
 線と色が柔らかく織りなす画面には、二人の人物の姿が描かれています。キャンバスの代わりに使われたのは、穀物用の袋などに使われるジュート。その上には石膏地が施されています。この風変わりで実験的な支持体の上で、優しく溶け合う不定形でジグソーパズルのような色のかけらと、アトランダムにも見える太い線。
 ここで仮に、この作品を色の部分と線の部分との二つに分けてみたらどうでしょうか。色の音と、線の音。この二つの音が、それぞれ自分の曲を奏でながらも、他方の領分を侵すことなく、穏やかに調和する。もはや、ナチスによる迫害への怒りも、病への悲しみや絶望も、クレーの世界を乱すことはありません。
 そして、やがて情感豊かな音楽が聞こえてくるでしょう。
 「天使たちが邪魔だてされずに歌を始めることができるように」(パウル・クレー)

 
*この作品は所蔵作品展2007-III(6月23日-9月24日)で展示されています。また、この作品展示に合わせて、次のような音楽を聴いたり、物語を読むことができます。
・平成17年度特別展 コレクション+αで楽しむシリーズ:音楽「色、線、形、そして音」(平成17年9月17日-11月6日)でのワークショップ「例えば、クレーの絵を音にすると? その二」(10月29日、30日)で、音楽家の野村誠さん、林加奈さんと、一般参加の皆さんが、<子供と伯母>を題材に共同で作曲・演奏した音楽
・平成17年度の徳島市富田小学校3年1組の授業で、<子供と伯母>を題材に子供たちが生み出した物語集。
徳島県立近代美術館ニュース No.62 July.2007 所蔵作品紹介
2007年6月
徳島県立近代美術館 友井伸一