2010年07月27日

 
 シーガルは「人から型とったら面白いかも!」と純粋な好奇心から人から型を取り始めたんじゃないかな?と思いました(^^)
ミロ 大学1年 シーガルの「なぜ」
【編集部より】 彫刻の表現において、彫りも盛りもせず「写す」というのは大問題でした。しかし、いやだからこそでしょうか、作家自身は夢中で試作を繰り返したといいます。きっとここから何かをつかむことができる、そんな予感と不安にわくわくしたのでしょうね。(トシ)

2010年07月25日

  
 本物の体から形をとると、よりその人の形に近いものができる。
 制作をよりその人の近くで触れ合える。
 普通の生活をしていて、その瞬間をかたどっているから時間を感じさせることができる。
 しかし、作品として彫刻や絵画のように自分の中で置き換えて、それを表現しているといえるかと思った。
キャプテン 大学1年 シーガルの「なぜ」
【編集部より】 大学生からの初投稿です!ありがとうございます。制作の方でしょうか。シーガル作品を見る人はたいがい、パコンと全身型どりするような様子を想像して、ずるいとかひどいとか言います。しかし現実には、人は鯛焼きのようには採れないわけで、シーガルの用意した見え方のルールの中に現れ直すんですよね。「置き換え」とはよい言葉だな、そんなことを思いました。(トシ)

2008年11月01日

私何か変?

私いつもこのお気に入りのベンチに座っているの

あなたもどう? すわってみる?

リサ 小学校6年 徳島市
【編集部より】 何となく不思議なムードが伝わってくるけど… どうなんだろ。恐い物語かな…?(トシ)

2008年10月27日


【編集部より】
 「ついさっき買ったサンダルにあうかな」というカルタがあります。僕は1番絵札かなと思うのですが、違うかも知れません。僕はこれまで、このアップのサンダル写真で作ろうと思ったことがなかったのですが、カルタを聞いて見てみると、ああ僕だってさらっぴんを履いた時にはこうして、なんだか自信がなかったり照れたり、そわそわ自分の足下を見て見てするよなあと、ハッとしました。自分で気づいていない自分に会えたようで、とても面白く読みました。

 24日と今日にわけてたくさん投稿を頂きました。6年のみんなのカルタは、何気ない言葉の中にも、その主人公の暮らしや心情、その場面にいたるまでの道のり、そういったことが感じられてやはり高学年だなと思いました。よく見つめて、自分の見た世界に正直に、書かれているからだと思ったことです。(トシ)

顔が白くなり動かなくなった
一 小学校6年 徳島市

少し暑い雲一つ無い空の下
いなずま 小学校6年 徳島市

手の中にしまっておこう宝物
マー坊 小学校6年 徳島市

あーつかれたベンチでひとやすみ

ずーとみつめるあの人を

伝説のゲームマスター 小学校6年 徳島市
【編集部より】 ペア投稿です。(トシ)

ベンチにすわってねむってる
新世界の神 小学校6年 徳島市

私の自慢は腕時計
まっつぁん 小学校6年 徳島市
© 徳島県立近代美術館 2007-