》 フランス近代絵画をめぐる旅 3 《

フォーヴィスム

 1905年のサロン・ドトンヌの一室に出品されたマティス、マルケ、ヴラマンク、デュフィたちの作品の鮮やかで激しい色彩が、揶揄的に「野獣(フォーヴ:fauve)のようだ」と評されたのが名前の由来です。

 外部がどのように見えるか、にこだわった印象派に対して、情念や象徴的な意味といった内面的なものの表出に重きを置いたのがフォーヴィスムでした。彼らの鮮烈な色彩は、何かを再現し写し取るためのものではなく、その色自体が直接に表現力を持つのです。絵画は「現実」を表すものではなく、その絵画そのものが「現実」なのだ、という方向性は、まさしく「近代絵画」が開拓したものでした。そして、フォーヴィスムの作家たちにとってのリアルな現実は、外面ではなく内面にあったのです。

 彼らは、激しい筆触や、装飾性といった作風上の特徴を持ってはいましたが、感情をゆさぶるような筆触のヴラマンクや、宗教的な精神性を求めたルオーのように、それぞれの画家の個性が強く、まとまった動きとしては短命に終わります。しかし、内なるものの発露という方向性と、色彩そのものが自律し主張するという考え方は、同時期のドイツ表現主義と呼応しながら近代美術の一時代を形成したのです。

キュビスム

 フォーヴィスムが色だとすると、キュビスムは形を問題にします。その担い手は、1907年に出会った若き二人の画家、ピカソとブラックでした。彼らは、印象派や点描の画家が、対象を「色」に分解したのに対して、キューブ(立方体:cube)という言葉から連想されるように、描く対象を、いくつもの幾何学的な「形」に置きかえ、それらをもう一度組み合わせていきました。

 徹底して形を分解したキュビスムの絵画は今回出品されてはいませんが、たとえば、アンドレ・ロートの<腰掛ける裸婦>(1925年頃)では、人体の下腹部や胸の膨らみ、額から鼻筋にかけてのT型のラインなどに見られるように、描く対象の持つ微妙な凹凸が単純化されています。そして、人体のプロポーションは、理想的とされた黄金比のバランスを崩しており、奥行きや立体感に乏しい画面は、遠近法や陰影法といった古典的な規準を否定しています。

 理想的なプロポーションの人など現実にはめったにおらず、遠近法や陰影法も、しょせんは平面上に見せかけの奥行きや立体感を生み出すにすぎません。そうではなく、キュビスムは平面の絵画ならではのリアルさを求めたのでした。

エコール・ド・パリ

 エコール・ド・パリ(パリ派)は流派やグループ名ではありません。幅広い用法がありますが、本展では1920-30年代にパリに集まった外国人作家たちを中心とした一群を指しています。

 印象派、フォーヴィスム、キュビスム。近代美術の中心舞台パリには、ロシア、イタリア、日本など世界各地から画家たちが集まりました。シャガールやスーティン、モディリアーニ、藤田嗣治(レオナール・フジタ)などの異国人たちは、そこで先進的な美術の動向に触れ、多くの画家や詩人たちと交流し、それぞれの個性を発揮した制作を行いました。

アメデオ・モディリアーニ
<若い女の胸像(マーサ嬢)>
1916-17年頃

 彼らが残した最大のもの、それは貧困と無理解のうちに酒と麻薬で破滅的に人生を終えた、たとえばモディリアーニのような「芸術家の生き方」なのかも知れません。それはまた、私生児でアルコール依存症を患い、憂愁と郷愁に満ちたパリの街角を描き続けたユトリロ(パリ生まれ)にも共通するイメージです。そこには退廃的で根無し草のようなにおいがします。

 かつて絵描きは、職人や技術者、あるいは宮廷画家という、れっきとした職業でした。しかしこの時代は、世間の無理解や貧困、孤独のなかで苦悩しながら芸術を追及する、という自己陶酔にも似た行動様式が見られます。良くも悪くもエコール・ド・パリという言葉が、甘美で危うい芸術家のイメージをかもしだすとすれば、それは、芸術の自律を目指し、次々と変貌し続けた近代絵画の遺産のひとつと言えるでしょう。


※図版の作品は、すべて松岡美術館所蔵です。
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目次
》 フランス近代絵画をめぐる旅 《
1  セーヌ川、ブルターニュ、そして南仏
 近代美術
2  印象派
 ポンタヴァン派・ナビ派
 点描派
3 フォーヴィスム
 キュビスム
 エコール・ド・パリ
4  松岡美術館のコレクション、その楽しみ方

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