美術館のコレクションは名品ばかり?

 案外少なくないのが、こういったお尋ねです。「美術館に入るぐらいだから、さぞかし名品なんだろう」「美術館のコレクションは名品揃いに違いない」というわけです。

 しかし実をいうと、美術館のコレクションは、世間でいう「名品」ばかりではありません。言葉は悪いのですが、走り書きのような素描もあります。中には絵筆やパレット、あるいは画家の日記やノート、手紙、各種書類など、およそ美術品とは呼べない物もあります。

 具体的な例として、伊原宇三郎に関するコレクションをみてみましょう。ご存じのとおり伊原は、戦前戦後を通じて活躍した徳島が生んだ代表的な洋画家のひとりです。美術館では伊原の作品や資料を積極的に収集していて、現在では総数で1543点を数えます。しかしその中で油彩画はわずか42点。それ以外は何かというと、素描類が137点、あとはさまざまな遺品類です。「名品」どころか、美術品と呼べない物の方が圧倒的に多いのです。

 では、なぜ美術館はそのような物を収蔵しているのでしょうか。油彩画は初期から晩年まで各時代の典型的な作品を収蔵することで、伊原の画業を概観できるコレクションを持ちたいと考えています。しかしそれだけでなく、それらの油彩画が制作された背景を知る手がかりも持っていたいと考えているのです。

 伊原は1枚の油彩画を完成させるために、何枚も素描を繰り返しています。美術館の伊原コレクションには、伊原が最初に思いついた絵の構想を慌てて書き留めた小さな紙切れ、イメージを固めるために何回も書き直したメモや部分図、完成作に取りかかる直前の下絵などがあります。素描といってもけっしてきれいなものではありませんが、完成した油彩画とこれらを照らし合わせることで、伊原の絵の作り方や工夫を浮き彫りにすることができるのです。またさまざまな遺品類からは、折々の伊原の行動や伊原が何を考えていたか、作品が描かれることになった事情などを知ることができます。

 もちろんどのような作家でも、このような積極的な収集をおこなっているわけではありません。美術館の能力には自ずと限界があります。具体的には伊原や三宅克己、日下八光など、徳島に縁がある作家で、特に重要な業績を残した作家に限られています。

 このような素描類や遺品類を、実際にご覧になったことがあるお客様は、あまり多くないと思います。作家の回顧展が開かれるときは別として、通常は収蔵庫に保管されていて、ごくたまに所蔵作品展で見かけるだけです。しかし展示に使えるかどうかは別として、特に重要な作家に関しては、「名品」だけでなく周辺の資料を併せ持つことで、作家がたどった足跡をまるごと後世に伝えていく必要があると考えているのです。


徳島県立近代美術館ニュース No.45 Apr.2003
2003年3月
徳島県立近代美術館 江川佳秀