[展覧会メモ] ハンス・ペーター・クーン展に向けて

2005年、デンマークのオーデンセの町は、大いに賑わいました。H.C.アンデルセン(1805−75)の生誕200年の記念年で、アンデルセンの生まれ故郷であるオーデンセでは、国際的なイベントが満載だったからです。
 アンデルセンは、貧しい靴屋の息子として生まれました。父親を早くに亡くし、家庭的には恵まれなかったと言われます。しかし、アンデルセンはくじけることなく、若くして大志を抱いてコペンハーゲンに出向きました。苦労の末、国際的に有名な童話作家になるのですが、そのことは世界中の人々が知るところでしょう。アンデルセンの童話を一つも知らないで大きくなった人は、おそらくほとんどいないと思われます。
 この年のイベントは文学や演劇、美術など、分野は多岐にわたり、現代の文化史を紡ぎつつある表現者たちが世界中から集い、華やかな国際交流の場となりました。在職12年目のオーデンセ市長は、目の回るような一年だったとしみじみと話しておられました。

 その数多いイベントの中で、市庁舎近くの公園では、ドイツ人美術家、ハンス・ペーター・クーンによる大規模な野外インスタレーション作品が展覧されたのです。

 成功を収めたアンデルセンが故郷オーデンセに里帰りをしたのは、1867年のことでした。オーデンセの町の人々は、大作家となって凱旋したアンデルセンを尊び、心を込めて迎えたといいます。また、人々は、アンデルセンが滞在していた宿の周りに松明を掲げて集い、町を行進し、彼の成功を祝ったそうです。
 このことは、アンデルセンの物語のように世界中に知られてはいませんが、地元の人々にはよく親しまれていました。野外での制作を依頼されたクーンは、オーデンセのことを調べ上げ、この歴史的なイベントに心を寄せたのです。

 クーンが私たちの目の前に繰り広げたのは、公園一帯を使った、長さ1キロメートル余りのサウンド・インスタレーションの作品〈Det frosne fakkeltog〉。「凍れる松明」とでも言いましょうか。200本もの光と音を用いた、それは大きな作品でした。
 松明の炎が灯されたのは138年前の12月6日。クーンは、2005年12月6日に、自らのインスタレーション作品を完成させ、展覧に供しました。200本もの冷たい光を放つ蛍光灯を公園中に設置し、そこに自分の創り上げた音を流しました。それは凍り付くような外気の中に、人を、自然を、町を、それらの存在する時間を、改めて思い起こさせる、美しく、不思議に抽象的な空間でした。

 さて、クーンの作品のお披露目の夜には、公園に多くの市民が集まりました。しばし後には、消防団がやってきて、油に浸した棒を人々に配り、それらに点火したのです。それは紛れもなく、21世紀に甦ったアンデルセンに捧げる松明の炎、町の人々からの祝福の証でした。松明を片手に、人々は先導されて公園を行進し、市庁舎へと向かいました。その長い長い行列は、暖かな炎の色をしたリボンのように、クーンの作品の側をゆっくりと流れてゆく、夢のような光景でした。過去と現在の時間は溶けあい、〈マッチ売りの少女〉の中で、少女がマッチの炎の中に幻を見る場面をも思い起こさせました。ゆらめく炎は、赤々と燃える「生きている明かり」、そして、クーンの「凍てついた明かり」がそれとは対照的に冷たい光を放っていたのです。
 松明の行列が通り過ぎた後、厳しい寒気の中に在る、凍れる松明はよりいっそう凛として見えました。その張りつめた空間に響く音は、なんと清々しいものだったでしょう。
 クーンは歴史的なテーマを扱う作家というよりは、むしろ、抽象的で構築的な表現を目指す作家です。けれど、出向いた土地に堆積するさまざまな要素から、豊かな内容をたたえた作品も多く生み出しています。
 光と音により創り出される空間を、ぜひとも、次回展覧会で体験していただきたいと思います。


徳島県立近代美術館ニュース No.59  Oct 2006
2006年9月
徳島県立近代美術館 吉原美惠子