[研究ノート] 近代水墨山水のなかの人物(上)

 この春、当館では「水墨の美−再発見」展を開きました。富山県水墨美術館からお借りした作品で、近代から現代にかけての水墨画や水墨表現の流れを紹介しようとする展覧会でした。会場では、作品の多くが、山水画とか花鳥画とか呼ばれる、山のようすであったり花々や烏たちの姿を表したものであったりすることに改めて気付かされました。西洋にあるような人物表現は少ないのです。たまたま出品作がそうなったからではなく、同時期の水墨画を広く見渡してみても同じことが言えるように思われます。

 もちろん、当時の画家たちは、人間の表現に興味がなかったわけではありません。人間そのものに注目して描くよりも、自然とともに人を表し、自然との関係のなかで自身の理想や世界観を示そうとする傾向が、水墨の分野では顕著に表れているのです。風景のなかに小さく描かれた人物は、一見、添えもののように感じられる場合があるかも知れませんが、よく見ていくと、画家たちのもつ人間の捉え方が浮かびあがってきます。そのようなことを、展覧会の出品作を中心にして少し考えてみたいと思っています。

 描かれた人物がどのような意味をもっているのか、比較的分かりやすいのは、枕を使って寝る人(図1)を描いた富岡鉄斎の〈竹窓高臥図〉(1919年)です。「人間萬事塞翁馬」などと書かれている賛により、人生の幸不幸は前もって分からないのだから、くよくよせず家の中で雨の音を聞いて眠る、などといった意味が読みとれます。中国の古典からとった教訓的な題材を、画と賛で示した作品です。

 しかし鉄斎のように、賛を含めて意味を示そうとする画家は必ずしも多いわけではありません。中国文人画の「書画一致」の世界に憧れる傾向が、近代化のなかで弱まっていったことが関係していますし、それ以上に、強い別の伝統があったのを指摘することもできます。狩野芳崖〈冬真山水〉(1868年)がその例となるでしょう。ごつごつした冬の岩山の間を滝が流れ、それを見る人たちが画面下に小さく描かれています(図2)。その人たちは、どことなく高貴な雰囲気が漂っていて、遠くの橋を、背中を丸めて渡る人物(図3)とは異なった姿で表されています。

 芳崖は、フェノロサや岡倉天心と共に明治の新しい日本画をつくろうとした画家ですが、もともとは江戸幕府の御用絵師、狩野派に属した人でした。これは、幕末から明治維新前後にかけて、彼が狩野派の源流の一つである雪舟の作品に学んでいたときのもので、小さく描かれた人物も、室町時代の山水画に登場する人物と似かよっています。滝を見る人たちの意味は、古画を学ぶ過程の作品ですので、順当に考えれば、宮仕から離れて清らかな山中で生活をおくる高士(中国の高級官僚のプライベート時の姿)と理解しておくべきなのでしょう。室町の水墨画に即した解釈です。また、御用絵師という立場や民衆の姿を含めて考えるなら、幕藩体制の秩序を暗示していると言うこともできるでしょう。ただ、民衆を「高士」よりも高い位置に置くのは異例であり、明治元(1868)年という時代の変わり目に描かれた表現として、解釈の余地を残していることも確かです。

 いずれにしろ、近代の側から見るなら、これは古い型に属する人物表現であり、人物表現の変遷を見るうえで目印とすることができる作品でもあリます。芳崖やその朋友、橋本雅邦を受け継いだ次の世代の画家たちが、日本や中国の古い絵画に学んだ人物を表しながら、意味するものを徐々に変えていったからです。そのため、もし参考とした古画の表現と近代の人物表現を比較し、明治初期から順に見ていくとするなら、水墨山水や風景画に描かれた人物表現の変化を知ることができるはずなのです。次号では、その点をいくらか見てみようと思っています。


徳島県立近代美術館ニュース No.55 Oct 2005
2005年9月
徳島県立近代美術館 森芳功