[展覧会余話] 胡桃を入れた袋

 表紙に「美術解剖 久米先生教授」と書かれた一冊のノートがあります。これは、彫刻家の朝倉文夫が東京美術学校(現在の東京芸術大学)に在学中、明治 37年から38年にかけて授業を受けた美術解剖学の講義のうちの手の骨から腹筋までの部分のノートです。当館では、平成11年度の特別展として「日本近代彫塑入門 荻原守衛と朝倉文夫」展(仮称)を4月17日から開催する予定で準備を進めていますが、そのための調査で、このノートが遺されていることがわかりました。

 美術解剖学とは聞き慣れない用語ですが、簡単にいえば、美術家が人体を的確に描いたり彫り表したりするために、人体の内部にあって、外形に関係している骨や筋肉などの仕組みを研究するものです。例えば、腕を曲げた人の姿を作るとします。この場合、解剖学的には、前腕を屈曲させるために上腕二頭筋と上腕筋という二つの筋肉を収縮させることになります。これにより上腕二頭筋が力瘤状のふくらみとして目に見えるようになるように、体の内部にある筋や腱といった仕組みが、皮膚の下に明瞭に浮かびあがって人体の外形を形作ります。また、関節の研究をしていなければ、実際には不可能な曲がリ方につくってしまっても気がつかないでしょう。このように、美術解剖学によって人体の内部とその運動のことをよく知っておくことは、制作にあたって重要なことなのです。

 しかし、その一方であまり解剖に捕らわれるのもよくないようです。へたをすると人物を描いた作品が解剖図のようになってしまうかもしれません。また、ルネッサンス期の巨匠のミケランジェロの作品では、解剖の研究がそのままに出て、筋肉のごつごつした人体が胡桃を容れた袋みたいだと悪口をいわれたこともあるそうです。ミケランジェロの場合はそれでもすごい作品になっているという話ですが、要するに、解剖は基本として身につける必要があるものの、その後はあまリ気にしなくても自然に正確に制作を行うことができるというところでしょうか。

 ところで、日本で美術解剖学が系統的に教育されるようになったのは、明治22年に東京美術学校が開校してからのことです。最初はドイツ留学から帰った医学博士の森林太郎(鴎外)が講義を行いました。明治29年からは、画家の久米桂一郎がその講座を引継ぎ以後30年間に渡って美術解剖学の授業を行いました。最初に紹介した朝倉のノートもその時期のものです。久米は、明治19年のフランス留学時代に解剖学と出合い、解剖学の本を購読し、翻訳を行うなど強い関心を持って積極的に学んでいます。

 そして、東京美術学校での授業は、フランス国立美術学校美術解剖学教授ポール・リッシェの美術解剖学の著書をもとに行っています。さらに、明治36年には森林太郎・久米桂一郎の共著で「芸用解剖学 骨論之部」を出版し、また、明治38年には、生徒に医科大学で実際の人体解剖を参観させるなど実践的な授業を展開しています。

 この他に、美術解剖学の重要性を説いた美術家として画家の中村不折がいます。中村は明治34年にフランスに留学する前から美術解剖学に興味を持ち、留学中は熱心にプロポーションと美術解剖学の研究をし、帰国後は太平洋画会でも美術解剖学の講義を行ったといわれています。そして大正4年に「芸術解剖学」を出版しています。この本に掲載されている図版から、中村の美術解剖学もリッシェを基にしていると考えられます。この本はその後も版を重ね、美術解剖学に関する本として広く知られているものです。

 ところで、現在準備中のこの展覧会では、官展派アカデミズムの代表といわれる朝倉文夫の初期の作品と、日本にロダンの作風をもたらした彫刻家として有名な彫刻家・荻原守衛の重要文化財(原型)指定の〈女〉をはじめとする現存する全彫刻作品を展示する予定にしていますが、美術学校で講義を受けた朝倉に対して、荻原はどうだったのでしょうか。 荻原は、画家になることを志し、明治34年にアメリカに渡っています。そしてその翌年の手紙には解剖学の本を購入したことが記されています。明治36年にはフランスに渡り、彼の手紙からすれば、中村不折に助言をうけ参考書の購入と実物の死体による美術解剖の授業を受けたと思われます。また、遺されたスケッチブックにも多くの解剖図が描かれています。荻原は、友人の本多功によれば、美術解剖をよく勉強していたということですが、助言を行ったのが中村であることや遺されたスケッチの図柄から、リッシェの美術解剖学も学んでいたようです。また、帰国後は解剖学に関する講話を行ったりしています。

 このように、荻原と朝倉はその基礎的な美術解剖学の分野で同じリッシェの流れを汲んでいます。しかしながら、実際の彫刻作品にはそれがどう消化され、表現に影響を与えているのでしょうか。この辺りを見比べるのも、この展覧会のひとつの面白さとなることでしょう。


徳島県立近代美術館ニュース No.28 Jan.1999
1999年1月
徳島県立近代美術館 安達一樹