[暮らしの中に] 表現の受けとめ方

 美術館は、絵画や彫刻を鑑賞する場所であるということに、最近は少し抵抗を感じる人が多くなってきたのではないでしょうか。

 「どうも最近、自分の理解の範囲を越えているものが美術館にうやうやしく展覧されていて、よく分からなくなった」、「自分だけが作品を理解できていないと感じると、気後れがしてしまう」などです。そうなったら人は、どのように振る舞うのでしょうか。美術を遠い世界の出来事のように、自分の暮らしから閉め出してしまうでしょうか。それとも、裸の王様のように、うやむやなまま自分自身をごまかしてしまうでしょうか。

 同じ芸術の世界にあり、同じ根を持ちながらも表現手段が違う分野では、表現のあり方が大きく変わったとしても、それほどに苦手意識は持たれていません。例えば文学や音楽、映画、演劇の世界において、これまでになかったような語り方、斬新な音の組み合わせ、不思議な場面のつながりなどにはなじめてくるのに、新しい美術の表現になじめないのはなぜでしょう。

 きっと、ただ「見る」ことが、「読む」「聴く」などという行為よりも単純であるがゆえ、最も難しいのかもしれません。大切なのは、頭を働かせ、意識して「観る」ことです。


徳島県立近代美術館ニュース No.20 Jan.1997
1996年12月
徳島県立近代美術館