大正から昭和へ

大正期から昭和の初期にかけては、人間表現の面でも実り多い時期で、個性的な表現が数多く生み出されました。谷角日沙春(たにかど ひさはる)〈髪梳く女〉(大正期 当館蔵)や甲斐庄楠音(かいのしょう ただおと)〈金針を持つ女〉(一九二五〔大正一四〕年頃 当館蔵)は、いずれも、どこかあやしい気配のある女性像で、甲斐庄の作品は、明暗を活かして肉感的な女性像が描かれています。秦テルヲ(はだ てるお)〈眠れる子〉(一九二三年頃 当館蔵)は、退廃と放浪の果てにたどり着いた母子像の表現。入江波光(いりえ はこう)〈草園の図〉(一九二六年 当館蔵)の母子とともに見ていくと、どろどろとした俗の世界と清らかなものへの憧れが同居した、大正期の人間表現が対照的に見えてきます。東京画壇では、徳島県出身の広島晃甫(ひろしま こうほ)の〈夕暮れの春〉(一九二〇年 当館蔵)が、感傷的な夕暮れのなかに女性を表しています。昭和に入ると、菊池契月〈虫撰(むしえらみ)〉(一九三〇年頃 当館蔵)のように、古画の人物表現を取り入れながら、より繊細で完成された形をめざす表現が見られるようになってきます。

一方、昭和前期は戦争の時代でもありました。堂本印象(どうもと いんしょう)〈熊野灘〉(一九四四年 当館蔵)は、日本神話のいくさを題材としたもので戦時下の空気のなかで表されました。第二次世界大戦が終わった翌年に描かれた寺島紫明(てらしま しめい)〈彼岸〉(一九四六年 京都国立近代美術館蔵)の祈る女性と対にして見ることもできるでしょう。

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