2005年05月16日

きゃんべら
5月14日、銀閣寺へ武蔵篤彦さんの新作版画を見にいく。2年前にKYOTO版画展のレセプションで久しぶりにお会いして以来。その時にポリマー版について聞いたのがずっと気になっていたのに、実物を見たのは今回が初めて。「版画の将来が変わりますよ」という言葉が、きっと印象に残っていた。
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いまは別の興味で見ている。案内状もらって「あ、この人しかいない」と思い立つ。ニーズの多い日本画や版画のワークショップ企画を考え込んでいた。武蔵さんは本当に長いこと版にこだわりながら、だけど版画である以前に、そもそも自分が絵画に何を求めているのか頑固に自問し続けているように思う。だから僕は武蔵さんの版画を見て、「どうやったら作れますか?」とたずねる気がしない。そういう人にワークショップをお願いしてみたかったのだ。
かいじょう
実はこの写真は、最新のポリマープレイト作品ではなく未発表の旧作。ギャラリーに入った瞬間、目をとりこにしてしまった。絵具の厚みや筆の痕がそこにない、張りつめた紙の表面に、生い茂り朽ちていく園のイメージが封印される。揺らぐように、にじみ出るように立ってくる色彩に、植物たちの思い思いの気配が潜む。奥へ奥へと僕は引き込まれていく。大好きな版画のマチエール。(会場=アートライフ・みつはし)
ぽりまーぷれいと
金属に樹脂コーティングした版=感光面。光を使う版画なのだ。後から行った別のギャラリーでポリマー版のことを話してると、「ああ、工業用の材料でね」と製版手法にしか関心がなさそうでガックシ。
ぽりまーぷれいとさくひん
写真を取り込むと、「これは写真製版。」てあっさり分類されちゃう傾向はげんとしてある。かつて写真を勘よく使いこなせば評価された時代はあったし、そういう作品を有難がって名品解説してる自分も同じところにいるのだろう。でも武蔵さんと話してて、長いキャリアの疲れなどみじんもなく、「光を使う」ことに目をキラキラさせる姿に、僕はかけがえのないエッセンスを見出す。「やっと見つかってきた」−あの人は単に探してる。版画の出来映えではなくイマジネーションを。そのシンプルな頑固さに感動する。それがどれほど大変なことか。
そすい
新作のモノクロ−ムは、それはそれは、カッコよかったのだけど、ガラスが写り込むので撮らなかった、覚えとこうと思って。彼の地の自然の色あいに大いに感化されたキャンベラのシリーズを拝見できて、新作の、作家の身ぶりと視線が光の中で遊ぶほんとうにごく微細なニュアンスを、共感することができたと思ってる。好きな個展だったな。帰りは久しぶりに蹴上までの道をてくてく歩いてみた。疎水の夕焼けがきれいで。

唐突にお邪魔して、来年のワークショップの約束をしてしまった。版画でないもの、技法でないもの、ものを作ってみたいって思った原初にあるものへ、もう一度出会う場所を作りたい、そんな願いを込めて。
© 徳島県立近代美術館 2005-2009