2005年10月29日

7月のプレからあっという間に秋。ついにクレーの回がやってきた。今回も見学記です。でも結論まず言うと、このワークショップの見学は本当に他にない体験。作る人が主役の「作業」ショップというにはあまりにも、もったいない! 絵を前にした公開制作というのが実態なんだろう。見て聴いていること自体が、気づきと悦楽に満ちたすてきな体験であることを、会場係の僕ほか数名しか味わえなかったのが惜しくてたまらない。

ことばを失うと言う。でもちょっと違う。描画や演奏に没頭して忘れるのでもない。ことばが手放せること。跳び箱が飛べた瞬間のように。

くれー1日めはクレ−の線と色とでこでこ(マチエール)をまさしく楽譜に見立ててたどる旅。響きはとても現代的であって、ベートーベン時代のメロディしか好きじゃない人にとってはやはり難解なものだと思う。だけど、折り重なって論じ合うような音たちは、それぞれが自律を認められた世界で絡み合う幸せを実感させる。例えば層状だとかパズル状だとか単純には言い切れない、混沌と踊り合うシチュー鍋の中身のよう。あれもこれも本当にこの場所でまとめあげることができたなら、ってこの含みのある絵を描いたクレーの行為に寄り添った音楽だなと思えた。「やっぱりこの絵はこのくらい複雑なんですよね」という野村さんのコメント。

線、色、と順ぐりに作曲して奏でてみる経過を見ていたある瞬間、本当にことばが消えた。見ながら聴く、聴きながら見る、どちらとも違う感じの中に自分が浮遊しておっかなくなった。夢見を思い出すことができない時のように、つかんだはずなのにもう気配でしかない。音のヒントになった絵がヒントになって、きっと一瞬、耳が開いた。そして、絵が絵だと分からない視界を眺めていた。‥うまく話せないのが無念です。翌朝にまた絵を見て、こんなに小さな絵だったかしらとびっくりした。

くれー思いを強くした感想もあります。ボッ‥パッポ、ペポッペ♪ と駆け上がるカキ色パートのメロディを追いながら、僕はクレーに山を見ました。この絵の垂直性を初めに教えてくれたのは、評論家ではなく小3のT君です。「どこまでも高く積み木をつみあげよう」とお話を書いた子。詩をもらって、音楽をもらって、どんどん僕は絵の中に入っていく。

     ◇     ◇     ◇

2日めはついに合唱! 参加者は少なかったけど、ちょっと僭越な言い方だろうけど、参加して下さった人たちの呼吸を通してキモチの中身をのぞかせてもらったような、不思議な透明の開放系の一日だった。まさかと期待したポスターの図柄や文字に応じる発声、寡黙な銅版画の底なし空間へ僕らを引きずり込んでいく三部曲、秘密の玉にこもって部外のオトを聞くような秘密の音楽。みんな絵を向いて奏でるから、僕らは背中を見る。すてきだったな‥。こんな授業を小っちゃい時、見るだけでもいいからしたかった。

最後にもう一つだけ自慢。たまごをもって家出する音楽を聴けたんです、コンサートじゃありません、野村さんの2日め冒頭の自己紹介です(!)。これ言及するの迷ってしまってふがいない思い。人に伝える感想を言う素養がありません。忘れ切ってしまった、こどもの旅の時間感覚に本当に夢中になってしまいました。演奏家のCDあっても、聞きたくない‥。この演奏の本気さを手放したくないです。もう‥すごい自己紹介でした。みんな聴きにきたらよかったのに‥。くれー

それにしても参加して下さった人たち、すてきです。音楽が好きで、音楽に憧れる自分の中の尊い気持ちを、奏でて下さった。聞かせてもらえた喜びが大きすぎて「下さった」のほかに言えない。どういう方法でか、みんなの2日間をそういう日にさせてしまう野村誠さんと林加奈さんという存在は、ぼくにとってまさしく「星」としか言いようがありません。

きっと聞きにきたら大感激の多くの人たちに、うまい宣伝をできなくて、そしてレポートもへぼくてゴメンナサイ!!

ワークショップ〈例えば、クレーの絵を音にすると? その二〉
2005年10月29日(土)、30日(日)13時30分-16時 展示室3
対象:一般 参加無料
講師:野村誠、林加奈
→ 音楽「色、線、形、そして音」展
© 徳島県立近代美術館 2005-2009