2005年08月19日

高知ハイスクール

ぱのらま
真夏の高校美術部合宿。作業場の体育館へあがると、「本気」Tシャツの岩野勝人さんと軍団の若い作家たち。もくもくとよく仕事する。僕にとっても懐かしい高校合宿に、岩野さんがどんな風に切り込むのか楽しみで仕方がなかった。しかも県下の合同合宿! アタックNO1じゃあるまいし、美術部が合同で? 鬼熊コーチは?

こんどうちでもやってもらう、「パノラマ絵画」の出来はなかなかのもの。幼稚園児とおなじクレヨンだけを使って、ほんの5センチ角ほどの窓をすかしてみた世界を描き込む。話したこともない高校生たちの、生きざまや好きな歌まで伝わってきそう。持ったら重いって思うほど、のせてるのせてる、説得力のあるマチエール、どの子も。かっこいい。受け持ちのレンガ塀を丹念に描いてる子。隣の子と葉っぱをつなげてる仲良し。昼休みも自分のを持っていって描き足してる子。そして、ひたすら昼寝で疲労回復に励む子。どうやらすごい合宿のようだ。午後の準備を指揮する岩野さんの声が響く。

スタッフ
午後からスタンピング−足で透明水彩−の見学。薄く溶いた絵具をたらして、足で描いてく。おそるおそる、て感じは最初だけ。じきに没頭している。あつかましくそばにいって質問したりした。だって素適な絵が、生まれては壊れ、壊しては生まれてる。課題はB3で5枚。2回目3回目からは、だんだん偶然にも飽きてくるし欲も出てくる。日頃は絵筆を使いこなして自分の世界を描くのが大好きな子ら。ぼくは少し誤解した先入観を抱いていたかも知れない。あえて筆と手を奪われた環境で、結局あの子たちはかえって自分らしさや自分の限界とせめぎ合っていた。「ちょっとした別の方法」に触れて終わりというようなプログラムではなかった。守るもの、実力、現場のがんばり、挑戦‥。仕上げのB2にいたってそれは際立ってくる。「これは!っていうのを描いて」とゲキをとばされて、若い作家たちの視線が厳しくなる。でも迷う様子はない。手にしたばかりの手法でぶつかる子、守りに入る子、マイペースな子。とにかく行動力を形にする回路は、もうできあがってる。

せいと
ワークショップの語が美術ではどうもおさまりが悪い。「術」を売るのか教えるのか。そもそも何を共有しようとするのか、はっきりしないものが多いからだ。開発したプログラムを、著作権フリーでいくらでも使ってほしいと語る岩野さんの自信に少し触れた気がする。ふところの深い、いいプログラムだと思った。ぼくは合宿は、方法はどうあれ、やっぱり17歳、18歳の夏に変化が必要だと思っている。その子次第よね、なんて思わない。人生で一度の夏かも知れない。確かにあの午後、作家としてのありようを、絵画の苦悩を、生きている子らの姿にグッときてしまった。

自分でつかんだものを信じるしかないねん。作らんとこ思たら、作らへんかったらええねん。3日めの岩野さんの最終コメントを高校生たちはきっと持って帰る。あの集中的な力の発揮の後に沁みこんでいったろう。きっと何人かは作家になるにせよ諦めるにせよ、美術との関わりに小さくても頑丈な石をつかんだことだろう。そして本当に作家になろうと動き出した時、ぜったいにその言葉を思い出すのだ。

それにしても高知の先生がたのすてきな空気。なんだろ、ぼくにとっては憧れでしかなくて、まだ言葉が出てこない。日程を終えあいさつ終えても、立ち去りがたく最後の最後まで居残って、「ありがとうございました!がんばって!」と帰っていった軍団Kさんの気持ちが、少しわかる気がしてる。みんなの汗を吹き飛ばすように、南洋の激しいスコールが何回も通りすぎていった。
© 徳島県立近代美術館 2005-2009